力なく 歩を進める 老爺あり 老婆にはない かく屍
よく見かけるのである。たとえばイオンのベンチとかで。所在がない、覇気がない、目的がない、そんな「三ない」そぶりの老人が。それは立っていても歩いていてもそこはかとなく伝わってくる。
それがここ平磯緑地でも見られた。ここへ来たのなら、緑を見、鳥の声を聞き、風を感じ、雲の形に驚き、出会う人に会釈のひとつもすればいい。
それなのに生気なく惰性で歩いている。
ところでこんなことは女性には見られない。こざっぱりした服装に気配りし、あるいは場違いな山歩きの完全装備をし、あるいはピンクの色に揃えたファッションを訴え、ともかくことの良し悪しに関係なく、目的を持って歩き、たたずみ、ピースとして景観の中に立派に存在している。
さてこの男性老人の無気力ぶりは、自ら老人になる前から、長年にわたって気になってきた。自らがその年齢に至り、それは単なる悪口の域に止まらなくなってきた。つまりこの無気力ウイルスに自らが感染することを防がなくてはならないのだ。
という前提でのこの1首。女性にはこのような屍ぶりはないよね、っていう軽いノリです。
ブログの最初にしては、肩に力が入ってなくて、先行き続くのか、内容は大丈夫か、やや不安を誘いますね。実をいうとそれは私も同感なのです。
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