春の今 どうしているの 蝉たちは 冷たい地中 潜み蓄え
毎日自宅から見ている淡路島は穏やかなボヨンとした印象だ。平べったくて変化のない凡庸な風貌なのだ。
ところが病院からの帰り道は急勾配でそこそこ標高もある。そこから淡路島を見るとまるで違った印象なのだ。凹凸があってゴツゴツしている。
自宅から見える淡路島が老年だとすると、下り坂から見える淡路島は壮年そのものだ。
危険な香りさえする。
先日淡路の花桟敷公園から見た六甲山にも驚かされた。いつも見える鉢伏山、旗振山は、山というより丘みたいに、すぐ登れる親しみ溢れた場所だ。ところが花桟敷公園から鉢伏山、六甲山を見ると、驚かされた。鉢伏山の背後に大きな大きな山塊が黒々と控えていたのだ。鉢伏山を含む須磨アルプスが、小さなプードルのようで、後ろに獰猛なシェパードが控えているような感じだった。
コメント
コメントを投稿