煽られる 高き枝枝 微笑みて 大地の息吹 そこはかとなく

 

 決まり台詞は聞いていて鬱陶しい。例えば「〇〇の外交はしたたかだ。」どうしようもない、打つ手がないといった閉塞感をただ単に繰り返し、訴えているだけだ。彼らがしたたかなのは、その理由がはっきりしている。結果に命がかかっているからだ。失脚すれば命の補償はない。権力だけが安全の保証であり、そこに憲法も裁判所もなければ、誰の約束も存在しない。それに引き換え、当地の政治家はどうだ。失政を犯してもぬくぬくとしている。そんなところに、したたかさが存在しえようか。

 同じように唖然としたのが、侵攻された地からの特派員中継だ。ホテルに籠って、南方に火の手が上がりました、だって。爆音に記者がオロオロしていることだけは伝わった。しかし、生活のほとんどを失くそうとしている人のリアルは全く伝わらない。記者は当地にいるのと東京にいるのと寸分変わりない。イラク戦争があった時、現地報告として、カイロから中継していたようなものだ。





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