ワクチンの 副反応より 気にならず 他国を襲う ミサイル乱舞
ロ軍の所業が心胆を寒からしめている。小学校や病院をミサイルで狙い撃ち。核兵器の使用を匂わせる。生物兵器や化学兵器の使用を想定している。後者については、アメリカやウクライナがそれらの兵器を使おうとしていると喧伝しているのが根拠となる。相手が使おうとしているから先手を打って使ったという口実作りだと言われている。まあいつもの手な訳。
ところで、なぜ、今の世の中でこんな非人道的なことが起きるのだ?と思っている人は結構多い。しかし、いくら盛りの報道番組を見てもこの種の疑問には答えてくれない。
国家は道徳に縛られない。国家に道徳はなく、あるのは結果だけなのだ。(マキャベリ・君主論 君主は生き残るためであれば、悪徳を行使する能力を身につけ、これを臨機応変に行使する必要がある。)
通常兵器では勝ち目がないので、あるいは想定した結果を得られないので、化学兵器を生物兵器を使うのが合理的、と考える。しかし国民はそれについていけない。なぜなら人間だからだ。だからその彼らのために、先に相手が使いそうだったから、止むを得ず先手を打たざるを得なかったのだというストーリーを用意するわけだ。国民は一生懸命それを信じようとする。
古典的な使い方は、侵略する際、自国民の若い女性が敵国の男たちに襲われて殺されたというストーリーを喧伝することだとされる。ナチスドイツの所業が思い出される。
さて最近一番の問題だと思うのは、このフェイクストーリーについて、国民は本当に信じきっているのかという、疑問だ。ヒントとしては、ストーリーは欲せられているからこそストーリーたりうる、という指摘がある。(この点は後日に譲ろう。)
最後にマキャベリに戻ろう。国家は道徳から自由で、結果だけに拘束される。ところが一般に国民は、時に道徳を持ち出したり、時に情に流されたり、時に経済効率だけを考えたり、まあよく言えば融通無碍、ある意味矛盾に満ちすぎている。
つまりそんな感覚が、本来国家の感覚と一致するわけがない。
報道番組は地政学視点で成り立っている、そんな場で情緒的な問題を取り上げても、ものの5分で終わってしまう。取り上げても意味のない議題だということになる。
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