「座りたい」 叫ぶ子供を しかとして 話し続ける 車内気まずい
座って話し続ける若者二人。入り口付近の引き下ろし式のベンチ風座席。その前に乳母車に赤ちゃんを乗せ、母親が手を持った幼児一人。子供がこんなことを叫べば、我慢しなさいとかなんとか言って、抑えるのが母親かと思いきや、一切制御せず、二人の若者の為さりようを見定めんとするかのような感じ。
叫ばれる前に、幼児や老人の姿を見たらさっさと席を譲ってしまうのが鬱陶しくなくていいと思うのだが、如何せん近頃の若者には先を見通す目がない。ずるずると状況に押し込まれ、結局採用した策が、さしておもしろそうに見えない友人との会話を続けることだった。
子供はぐずり続ける。他の誰かが気を効かして、坊やここにお座り、とやられた日には最悪の状況になりかねないのに、それを回避する策を講じるわけでもなく、ただ単に時間の経過に運命を委ねる考えとみた。
その時の母親の顔なんぞ見たかったが、私の場所からは見ることができない。従前だと子供がわがままを言って周りの皆さんにご迷惑をかけた、としおらしく申し訳なさげを装うのが旧来の道徳手本だったが、近頃はそうでもないかもしれない。
その母親はどう考えたろうか。子供が座りたいと思うのは至極当たり前のことで、それを親がどうのこうのいうことではない。謝ったり恥ずかしがったりする筋合いではない。子供がかわいそうだと思う方がいれば、席を譲ってくれればいいし、子供は立ってた方が鍛えられて好ましいと思う向きは、子供の言うことなんか無視すればいい。
大半の思惑は、譲ってやってもいいが時期を逸してしまったので、譲るのはやめだ、くらいだろう。
中学以降ほとんど車内では座らない。座っていても立っている人がいると席を譲る。中学高校の教えだった。席を譲ることにほとんどストレスを感じない。
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