毎日を 早く過ぎよと 暮らしてる 何処に行くのか あてもないのに

  


 あっという間に1日が終わったと言うのは、忙しかった、充実していたと言うことを表しているみたい。一方時の流れがゆっくりすぎると言うのは、面白くない、実りがないと言うことを連想するみたい。と一般に言われている。。

 でもどうだろう。誰にでも一度くらいはあったであろう、あっという間に過ぎ去った日々というのは、本当のところどうなのだろう。本当に充実していたのだろうか。今つらつら思えば、つかみどころのないフワフワした、実態を感じない虚構のような日々ではなかったか。そう感じるのは、あまりにも長い時間が経過したからというわけではなく、過去に経験したことを再び経験するかのような感覚は、初めての時には感じないのではという発想に基づくのです。

 ところで年寄りはただ死ぬだけだ、と言い放った若者がいて、自分に対して発せられたものでないにしろ、それは違うだろう、死ぬのは年寄りだけではなくみんなそうなのだと考えた時、自分が一体何処に位置するのか意識がなかった。つまり若者なのか、中年なのか、年寄りなのか。それらの枠組みを超えたところに存在していた。

 時間があって、自分は年寄りなんだと改めて認識をして、考えてみたら、出てきたのは、死ぬのはお前もだろう、と言う言葉だった。

 一般論でお茶を濁すような反論ではなく、俄然当事者意識を鮮明にした、戦闘的な反論となった。

    年寄りは 死ぬだけなんて 戯け者 死ぬだけなら お前らもそう

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