春の海 黒煙残し 漁船滑る 鯛や蛸待つ 港目指して



  毎日のようにウクライナの窮状が伝えられている。伝えられる人々の気持ちはよくわかる。なんとかしてあげたい。理不尽な暴力が振るわれている場合、救援の手さえ現地に着けば事態は回復する。と思っていた。しかし今回の場合、理不尽な暴力は一向に治らず、人々は無力感に苛まれるだけだ。

 おおらかな時代、国家自体が出張っていけない場合、義勇軍という形で一方を応援したものだ。スペイン内戦がそうだった。あの名作の舞台となった。

 近いところでは朝鮮戦争。名前だけの義勇軍で実際は正規軍だったようだ。

 現に今もウクライナ側に数万の義勇兵がいると言われている。日本人も参加している可能性がある。駐日ウクライナ大使館が募集した時、三桁に近い人が応募していたように思う。

 行って暴虐者に一矢でも報いたいと思うのが人情だ。

 親の気持ちはどうだ、家族の気持ちはどうだ、という問題はあるが、それが全てを覆い隠してしまうのが、今の日本の問題ではないか。いつまでも親子が仲良く暮らせればいいが、彼の地ではそのようなフィクションがものの見事に現実にぶっ壊されているのだから。

 日本が同じような目にあった時、日本は戦えるのだろうか。

 日露サケマス漁業交渉が妥結した。ウクライナに支援を惜しまない日本に嫌がらせするだろうと危惧されていた。ところが急遽妥結に至った。理由は漁業協力費数億円だった。金がないのだ。これが弱点だ。


 






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