何事も フェイクフェイクで 言い逃れ ふと気が付けば パンドラの箱
自らにとってまずいことは、全てフェイクで終わらせてしまう風潮。力さえあればなんでもできるってことになる。
「カラマーゾフの兄弟」の中で、ドフトエフスキーはいう。「肝心なのは、己に嘘をつかぬこと。己に嘘をつき、己の嘘に耳を傾ける者は、ついには自分のうちにも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになる。」
嘘をつく人って、まず自分に対してです。嘘はつくが自分は全くそれに動じない人は少ない。嘘は他人を騙すというより、自分を騙す要素が先でしかも大きい。
ロシア社会でこの問題は常に大きい。
一般的に政治家に嘘はつきものではある。庶民的な正義感と政治家の正義感は異なるとは、マキャベリの言った通り。この分離が分離のままで許容された時代や世界もあった。
しかし、今やSNSの時代。こんな分離が許されるか。方法はともかく結果だけを見てくれという時代から、今やその方法についても庶民は関心を大きく示す。マキャベリの指摘はいつまで通用するか。これが今の状況の眼目である。
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