その昔 たとえ戻れても すべきこと 分からず迷い 自らを責む
現在の叡智を持った状態で昔に戻りたいという人が結構多いらしい。今の叡智があれば人生は違った様相を示していたであろう、との思いがある。大胆な発想でこのようなことは好みに合わないが、一方同じ状況に逢着すればどうするのだろうかという興味はある。
ところでムード歌謡や演歌は本当に罪がないなーと思う。「別れても好きな人」とか「会いたい気持ちがままなならぬ」とか「海より深い恋心」とか、どんどんやってくれと言いたくなる。これらの歌詞の要諦は、小学生でもわかる歌詞である。
しかし実はまんざらそうでもないかもしれない。ありきたりな歌詞、ありきたりなメロディの中に「玉」があるかも。
「恋人よ」は、別れ話を切り出された女性が、ひたすらすがる話だ。途中で設定がわかりギョッとする。
「異邦人」は、中近東を歌った歌ではなく、喩えとして異邦人が使われているだけ。あなたから見て私は、異邦人のように縁のない存在だ、という。
「飛んでイスタンブール」は、韻踏みに凝っただけの歌。昔子供としりとりゲームをよくやったが、作戦は「る」で終わる言葉で責めることだ。「る」で始まる言葉は限られるから。この歌も結局そう。
「秋桜」は庭先でごほんと母が咳をする歌詞がいい。こんなことが歌詞になるのかと、唸らせる。「昴」の浮ついた歌詞と好対照だ。
「セカンドラブ」は、歌詞が秀逸。子供から女性に変わる過渡期の心情を巧みに表現していると言われるが、むしろ恋愛の本髄を見事に射抜いている。
「店の名はライフ」は、中島みゆきが目指すべき方向性を示す歌だ。今の多くの傾向は、重苦しく、独りよがりで、結構疲れる。
「かもめはかもめ」は、研ナオコの方が作った人よりいい。こんな歌を重苦しく歌われたらどうする?
「まちぶせ」は、ユーミンの動画がキモい。
「乙女座宮」は、一番好きな歌。肩に力が入らずノーストレス。
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