夫 先 妻追う散歩 羨ましい 重ねる年輪 ワープ叶わず
ソテツ
円安が進み物価が上がる。庶民の生活は大変なんですと、ニュースショウのMCがしたり顔で訴える。庶民は大変だよ、確かに。でもあなたは庶民なのか?数億円のギャラをもらっているような庶民はないだろう。庶民でもないのに庶民顔して、庶民は大変だよなー、というのりなんだ。これはMCだけに限らない、コメンテーターも、アナも。要は社会の上部に位置する人は、これらの物価云々はどうでもいい話題で、単なるネタとして扱っているのにすぎない。庶民はまず現実として物価高によって被害を受け、その被害に塩を塗っているのが彼らマスコミなのだ。
この構造は今も昔も変わらない。
舞台における黒子の存在は、存在しているけれど存在していないものとして扱う約束事だ。これと同じように、キャスターがさも生活が大変そうに訴えるのは、まさに芝居であって、それを今更芝居だというのは、野暮の極みなのか。同じように政治家がさも庶民であるかのように振る舞うのを嘘だというのはやっぱり野暮か。世の中で目立っている人は全て勝者で、その中で弱者を装う人もいるということか。
本当に弱者の痛みを訴える人は今の世の中にはいない。それではガス抜きができないから、強者の中から選ばれた弱者役が精一杯演じている。要は芝居なのだ。ところが昔はいた。貧乏人は麦飯を食えって、いう人が。つまり俺は苦労して今の地位にいる、だから白米を食う。ろくには働かない人、働いてもうだつが上がらない貧乏人は麦飯を食え。俺は庶民じゃないが、お前ら庶民は大変だなー、というスタンスだ。健全にして明快な保守主義というべきだろう。
なぜこういう発言ができなくなってきたのか。結構重いテーマに行き着きかねない。
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