思索埋め 思考無くすため 勤しむや 難解な本 浸る安逸
昨日は友人の訪問日だった。月に二回のペースで,一回は概ね5時間だ。帰り間際友人が突然発した。
「どなた?」
虚をつかれて思わず自らの名前を出した。
答えは、その名前の人は中学高校が一緒の長年仲の良い友人です。
私の返答。その人が私です。
想念上の「私」と目の前にいるリアルな「私」が一致していないのが明らかだ。拠って立つ地盤がぐらぐら揺れているようだ。後になって思い出したのだが、亡くなった母に晩年「どちらさま」と言われたのと同じ感覚だ。
2019年7月12日飯豊山で遭難したときが一つ目の転機だとすれば、昨日は二つ目の転機となった。
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