「誰っ」と 俄に問われ 固まる身 訪れ5時間 「認知」の不思議
誰かに認めてもらいたい、なんでもいいから感心してほしい。
対象が一人というのは通常よくあることかな。対象が誰それと特定できないのは困ったことではある。複数あるということは基準も複数存在することになる。こうなれば基準関係なしに誰をも感心させる大きな話になる。「アフリカで金鉱を見つけて大金持ちになった。」「ヨーロッパで社会貢献の表彰を受けた。」
判断するのは自分でなくてはいけない。もちろん批判もある。自己中だ、とか、世間知らずだとか。
自己中と称賛を求めて彷徨うのとどちらがいい。人生の難問って概ねこんなふうに究極の選択に委ねられる。
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