危機にある時
危機は人生に何度もある。危機は見せかけの価値と真実の価値がすり合わせをする機会とも言えなくはないが、最も当人にとって魅力的な時期でもある。潰されるか一発逆転か、賭け事の醍醐味のようなものがある。人によっては、戦う前から負けたようにしょぼくれてしまう人がいるが、勝ち負けは一切決まっていない。真実というものがあってそれに近い方が勝ち遠い方が負けるというのは一種の信仰に過ぎない。真実という絶対普遍のものを基準にしているからだ。
意識的に危機にある人に注目してきた。ヒットラーであったり角栄であったりその他諸々であるが、危機をするりとスルーして亡くなってしまうという人もいた。幸運な人だともいうが、そういう人は下品な人である。
低山を 孫と登りて 日曜日 「こんちわ」言えず 練習させる
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