災難
いつ来るのかわからない災難。どんな内容の災難。どんな奴が起こした災難。わからなければ恐ろしさはどんどん膨れ上がる。想像力がどんどん餌となって恐ろしさはとめどなく膨らんでいく。それなら、奴というのは鬼の様なやつで、やってくるのは津波で、というふうに決めたらどうだ。恐ろしさの対象が具体的になれば、その方面で膨らむ幅はなくなる。それなら貢物でもすればしばらく大人しくなるだろう、ということになる。恐ろしい魔物は自分達と同じ人間の部類に属することになる。
客観的には何の効用もない、祈りや貢物だが、被害を受ける方にとっては、やるべきことはやったという達成感が生じ、そん結果多少の安心感も生まれてくるものだ。
災難は客観的に存在するが、恐ろしさや魔物は自らの心の中にだけ存在するというメカニズムになる。
客観的には無意味だが、人間にもたらす効用は絶大だ。
このメカニズムを宗教という。宗教を否定して暗闇に迷い続けるか、イワシの頭に祈り続けて安眠を貪るか。究極の選択だ。
ふと思い 自作振り返り ヨタヨタに 硬い思いの 更に固まり
コメント
コメントを投稿