卑怯者・臆病者

 

 卑怯な部分・臆病な部分がある人は多い。ある時に卑怯なあるいは臆病な人も多い。でも人間の性格の一部に卑怯・臆病な部分があるからと言って、その人が卑怯者・臆病者とは限らない。

 少しでも卑怯・臆病要素があれば、それは卑怯者・臆病者ということになれば、須く人はそうなり、その言葉の存在意義自体を失うことになる。

 そこで卑怯・臆病要素の比較的多い人に限って卑怯者・臆病者と呼ぶべきだろうか。どの程度の多さが必要か多分議論は収束しないだろう。

 つまりじっくり考えては、いずれも断じられないのであろう。

 となれば、その言葉は突発的に発せられなければならない。相手を全面的あるいは多くの部分否定したい時、しどろもどろになり、イライラするから、えいとばかり手を打った結果が、「卑怯者・臆病者」となる。

 発信者のストレス解消の一方法ということになる。ということで言われた人は気にしないように。でもその元になっったファクトには十分検討の余地があるかもしれない。


    腰痛で 走りを止められ 歩くだけ 周りに目がいく 静止画のごと



      




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