よくある論法

 

 ある列車内に悪性ウイルスが撒かれ、このまま進めば大きな都市に着いてしまう。都市に着けば何十万人の犠牲が考えられる。そこでこの列車全てを焼き尽くしてしまおうとある人間が考えつく。

 同じような設定はよくある。小さな町にウイルスが蔓延し、その町はいま封鎖されている。これが町の外に広がれば甚大な被害が見込まれる。そこで町ごと核で焼き尽くしてしまおうと云うことになる。

 何百人と何万人や何十万人を比較衡量することになる。

 理屈として成り立つ要素はある。もちろん理屈の一要素としてだ。全体として正義か否かは逼迫性とか代替性の有無とかがリトマス紙にかけられそうだ。あと想定される行為の道徳性とか考えればいくらでもハードルは考えられる。

 一般的に映画では、最終手法は避けられる。悲惨すぎて観客を不愉快にするからだ。真実は大体人を不愉快にする。

 今世界中でこの種の算定作業が行われているかもしれない。


      折りにつけ 偏見塗れに 陥れば 深く沈みて 真探しに





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