詠めない時

 

 短歌が詠めない時あえて捻り出そうとすると、ややもすると標語風になる。そんな中にもそれなりの感慨は含まれるにしろ面白くないことは間違いがない。本来の人間性が出たようで恥ずかしくもなる。ところで短歌も数が多くなってくるとなんらかの分類をしたくなる。まず思いつくのは季節ごと、詠む対象ごと、詠む時間帯ごと、等々だが、標語グループと言うのも必要かもしれない。



     遠くで鳴る 駅アナウンス 海沿いの さびれし駅舎 見えねど思う

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