何を望むや

 

 嫌な思いをしたニュース。中国で小学生が当局の圧力で学校に通えないという話。父親が「極悪非道な」奴でそのせいという。もっとも父親というのが人権派の弁護士。「極悪非道」も国によって違うということだ。なんでこの国はこうなんだ。前日テレサテンの特集を見たところだった。天安門事件の折彼女は「反軍」のプラカードまでかけて戦った。そして民主派は無惨にも敗れた。彼女は悲嘆に暮れた。直後のコメントは、周囲に目を配りながら、精一杯の思いを述べたものだった。こののち萎れた花のようになって、パリに逃れ、そして失意のうちに死亡した。流れが流れだけにその死に釈然としないものを感じた人もいた。自由に生きたい。言いたいことは自由に言いたい。これが彼女のメーセージだ。戻って、その小学生は学校に行って友達に会いたいと訴えていた。そんな思いも叶えさせてあげないのか。


 
       綿々と 続く流れ どこまでも 初めも終わりも 清濁もなく



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