姨捨

 

 姨捨は、罪悪感と貧困が折混ざった深刻な儀式のように感じられる。これは極めて「農」的な要素の強いもので、「狩」的にはいかなる仕儀になるかかねて関心があった。彼らは常に移動しなければ生きていけないが、動けないものはそこにとどまらざるを得ない。理由はいろいろあるだろうけれど、自ら移動できないものはそこにとどまらざるを得ない。まあ言ってみればそれだけだ。生きると言うのは移動することだ。はっきりとして悩みの付け入る隙は少ないかのように見受けられる。「農」の世界ではどうしようもないことにああだこうだと言い募る。それが文化の一面のような気がする。

  
      こんなにも 暑い夏かって あったのか 思考が揺らぎ 視界がぼやける


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