家中の カーテン洗い 5時間 20年来の お約束なり リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 3月 06, 2022 現住居に入居したのが2000年。その時に家中のカーテンを誂えた。業者の言うには、「年に数回は洗濯してください。」と。 その約束を守って、夏、冬、春の学校の休みごとに洗濯を繰り返してきた。合計60回以上になろうか。その甲斐あってか、今も十分に効能は果たしている。ややレースのカーテンが弱含みではあるが、本体の方は十分に気品を保っている。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
三首 1月 30, 2025 ひたすらに 探し求める それは何 時の刻みや 常に在るもの 今こそ 時の刻みの 核心にて 後も先も 要は虚像なり 愛される 愛する 同義 人の知る 愛さない人 愛されはしない 続きを読む
3 poems 7月 24, 2025 初めてか 蝉のいない夏 出損なう 地中の鳴き虫 戸惑いのとき 地上には 蝉のない夏 地中には ただ待ち続け 思案顔彼ら 鳴けなくて 戸惑い悩む 今夏蝉 来夏を待つや 野垂れ死ぬや 続きを読む
猫走る 餌やり人と ペース取り 命の綱を 目一杯見て 1月 16, 2022 唐突ながら、表現の自由の話。 「表現の自由」という日本語はこなれていないかもしれないが、大事なものだとの認識は一般的なようだ。ただこれが一番大事だと言い切った例は一つを除いては知らない。 ある教団が第一の教えにこれを取り上げた。さぞかし斬新なことであったろう。 この教団のトップが誉めたという二つのエピソードを聞いたことがある。一つはその方が風呂に入ろうとした時、お付きの人が湯に桜の花びらを浮かせたらしい。もう一つはその方にステーキを供した際、しっかり火は通っていたのに肉の色は赤いままだった。 前の方の例はともかく、後の方を聞いた時まず思ったのは、もったいない。 ところで表現の自由は、人権の一つであるから、当然想定される抑圧者は「あれ」になるのだが、表現者から見て対外的な問題ではなく、むしろ対内的な問題になるのではないか、というのが視点かな。 さて1首。平磯緑地には数多くの猫がいて、そして数多くの支援者がいる。支援者と猫との間にどんな関係があるのかは知らない。たとえば、特定の支援者は特定の猫だけを支援するのかとか、森が大嵐になった時、自宅に引き取ろうかと考えないのかとか。しかし個々の猫が個々の支援者を認識していることは間違いがない。また長年見ていると気のつくことがある。子猫がいないのである。然るべき対応がなされているのが想像される。 続きを読む
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