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皐月空 マスク姿の ランニング 息の匂いに 興の醒め

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   雨が降ったり、晴れたりの天候が続く。今日は雨の日で、海峡も靄っている。時折霧笛が聞こえてくる。

突き詰める 追い込むことに いい加減 呆けて寝れば 最悪脱す

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   寝れば概ね物事は解決する。寝むれないのなら、横になっているだけでも、それなりの効果はあると思い定める。そして深い深呼吸をひとつ。これで寝ていると今度は思い込む。要は思い込みの勝負ということに。   白色の 薄紅至る 真逆花 箱根の山の ウツギという 

休み前 雨の予報 しょげる孫 皐月空下 弾む白球

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                     ケシ   成城石井からメールが来た。「山﨑」の抽選販売案内だ。一定の応募要件を備え、しかも幸運に恵まれなければ、入手できないという。いつからこんなことになったのか。以前はいつでも手に入ったのに。ところで私のスピリッツ人生も三年ほど前に始まった。年老いてまで生きていて良かったと思わせてくれた時の一つだ。神戸のホテルのメインバーだ。そこであるスコッチを薦めてくれた。そのスコッチに行き着くには前段階があるのだが、それは置いておこう。それは「ストラスアイラ」だ。芳醇にして優しい。今思えば「山崎」にも通じる。それ以来シングルモルトウイスキーはストレート一本槍だ。色々飲んでいるうちに大きく分けて二つの傾向があることがわかった。芳醇系とガツン系だ。後者は「グレンリベット」などだ。硬水が使われていることが多いようだ。癒されたい時には芳醇系、元気もりもり時はガツン系。アルコールに弱い日本人特に女性には芳醇系が人気のようだ。「余市」もそうだと思う。ちなみに「ストラスアイラ」は販売を終了している。とても残念なことだ。                                

何事も フェイクフェイクで 言い逃れ ふと気が付けば パンドラの箱

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  自らにとってまずいことは、全てフェイクで終わらせてしまう風潮。力さえあればなんでもできるってことになる。  「カラマーゾフの兄弟」の中で、ドフトエフスキーはいう。「肝心なのは、己に嘘をつかぬこと。己に嘘をつき、己の嘘に耳を傾ける者は、ついには自分のうちにも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになる。」  嘘をつく人って、まず自分に対してです。嘘はつくが自分は全くそれに動じない人は少ない。嘘は他人を騙すというより、自分を騙す要素が先でしかも大きい。  ロシア社会でこの問題は常に大きい。  一般的に政治家に嘘はつきものではある。庶民的な正義感と政治家の正義感は異なるとは、マキャベリの言った通り。この分離が分離のままで許容された時代や世界もあった。  しかし、今やSNSの時代。こんな分離が許されるか。方法はともかく結果だけを見てくれという時代から、今やその方法についても庶民は関心を大きく示す。マキャベリの指摘はいつまで通用するか。これが今の状況の眼目である。

クロアゲハ ツツジ漁って 蜜を吸い 休まず羽ばたき 一匹で健気

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   平磯緑地は今がツツジの盛り。朱色の花びらは上品とはいえず、クロアゲハがその中に舞う。はっきりいえば小振りのツツジが好み。葛城山のツツジは今から盛りとなる。アゲハも含めて最近はほとんど蝶々は見ない。なんとかやっていけてるのだろうか。  

横並び 緑織りなす 森の春 一際目を引く 楡の新緑

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  ここのところ天候がすぐれない。曇り、雨、曇り。こんな感じだ。でも植物にとってはいい環境なんだろうと思ってしまう。人間にとっちゃ、洗濯物の乾きは悪い、気分も盛り上がらない。でもなぜ天候がすぐれないと気分も盛り上がらないのだろう。猟に出ても獲物が捕獲しにくい、採取に出てもろくなキノコが取れない、豆が取れない。長き長き狩猟採集時代の名残かもしれない。狩猟には運動神経とチームワークが要りそうだ。採集には根気と冷静さが要りそうだ。採集から農業に繋がっていきそうな気がする。毎年同じようなところにキノコが生え、同じようなところに野菜ができているのに気がついたら、毎年そこを目指して採集に行くだろう。そのうち取ってきたタネが落ちてそこにも生え出したとしたら。農業まではもう少しという気がする。その点狩猟は取り尽くしたらそれまでで、他に行くかということになりそううだ。人類史の99・8%の狩猟採集時代。

春の海 黒煙残し 漁船滑る 鯛や蛸待つ 港目指して

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  毎日のようにウクライナの窮状が伝えられている。伝えられる人々の気持ちはよくわかる。なんとかしてあげたい。理不尽な暴力が振るわれている場合、救援の手さえ現地に着けば事態は回復する。と思っていた。しかし今回の場合、理不尽な暴力は一向に治らず、人々は無力感に苛まれるだけだ。  おおらかな時代、国家自体が出張っていけない場合、義勇軍という形で一方を応援したものだ。スペイン内戦がそうだった。あの名作の舞台となった。  近いところでは朝鮮戦争。名前だけの義勇軍で実際は正規軍だったようだ。  現に今もウクライナ側に数万の義勇兵がいると言われている。日本人も参加している可能性がある。駐日ウクライナ大使館が募集した時、三桁に近い人が応募していたように思う。  行って暴虐者に一矢でも報いたいと思うのが人情だ。  親の気持ちはどうだ、家族の気持ちはどうだ、という問題はあるが、それが全てを覆い隠してしまうのが、今の日本の問題ではないか。いつまでも親子が仲良く暮らせればいいが、彼の地ではそのようなフィクションがものの見事に現実にぶっ壊されているのだから。  日本が同じような目にあった時、日本は戦えるのだろうか。  日露サケマス漁業交渉が妥結した。ウクライナに支援を惜しまない日本に嫌がらせするだろうと危惧されていた。ところが急遽妥結に至った。理由は漁業協力費数億円だった。金がないのだ。これが弱点だ。