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4月, 2023の投稿を表示しています

躑躅咲く これ見よがしの 赤ピンク 情緒これ欠き 可愛げなしよ + 統計

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   昨日までの来訪者総計は5027名。投稿合計は478首。

桜の実 いつからかしら サクランボ 青空バックに 煽られ煽られ

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   季節の変わり目は体調が落ち着かない。こんな時は静かにやり過ごそう。  

思い付き しようとしたら そこにない 在ったことだけ 微かに残る

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毎朝の 体重計 目を凝らし 日々の増減 納得の日も

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             ハリセンジュ・28日・平磯緑地   60年ほど前の話で昨日は盛り上がった。ボケてるはずの友が昔のことの観察眼を仕切りに誇る。学生の夏の半袖開襟シャツのこと。その折りにはシャツの袖を織り込んで短くするのが流行っていたと主張する。当方にすれば流行っていたのかいないのか全く念頭にないから、返す言葉がない。それほど重要なこととも思えないが、ちょっとヤンチャな学生がそんなことをやり出したらしい。まあ人から見ればどうでもいいことだが、これで盛り上がると言うのは、要はワイワイ言いたい仲だと言うことだろう。  

曇天を バックに映ゆる 新緑の葉 小雨混じりの 午後の散策

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            モミジバフウの新緑・26日・平磯緑地  今年は未だに肌寒い日が続く。バックが重い灰色の空、これはとてもいい。  時刻がわからず、時間を超越する。画面は黒白に近く、色を超越する。木々の枝振りと葉がことさら強調されている。  

先ず在って 流れが続き 一呼吸 静かに見直す 心の隅々 

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  東京帝国大学と東京大学、その権威はその各々の時代で如何ばかりであろうか。明治の御代で低かろうはずがなかろう。そこの新入生の話を新聞の読者はどのような思いで見ていたのであろう。等身大にとらえることができた人はほとんどいなかったであろう。「三四郎」はそんな小説である。    

肝腎な 時に逃げるは 悪癖か 悔いても悔いても やはり治らず

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             アキグミの甘い香り漂う・平磯緑地・25日  漱石著「それから」30歳の無職の男。親からの仕送りで生活する。秘書並みの書生がいて、飯炊きの老女がいる。この男が悉く親や兄弟の言うことを聞かない。そのくせ自分の友人が金に困ると、なんとか融通してくれないかと頼み込む。自分の面倒も見れず、さらに友人の面倒まで見てくれとは、まともな大人の発想とは思えない。  この男が友人の妻に惚れる。そして告白する。この機に至り親や兄弟は匙を投げ、最後男は狂う。  これだけのことなのに、ああでもないこうでもないと筆は進んでいく。こんな話を新聞小説で読まされたら読者も堪ったものではないか。  ところで明治の世ならばこそ最後男は狂うが、現代においてはいかがなものか。男と妻にだけ焦点を当てればそれなりにお話としては筋が通る。  読んでいてずっと頭から離れなかったのは、親からの援助を止められたら働いたこともないこの主人公はどうするつもりなのかという心配だ。主人公はその辺り能天気だ。全く理解できない。子供が30歳になった時、家を出て自分で暮らしなさいと諭した我が身からすると、親の対応にも納得がいかない。要は30歳にもなって自ら立っていけないような人間にああでもないこうでもないと言う屁理屈を言わせることを許せるのかと言うことだ。  愚作と言いたい。

何事も 魔女狩りフェイクで 言い逃れ ふと気がつけば パンドラの箱

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 「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」そして今「それから」を読んでいる。樋口一葉と違って漱石は読みやすい、というツッコミはそこそこにして、やはり新聞小説だなって総括できそう。やたらと小難しいのは付き合いきれない。  

東より 孫のお目見え 笑み浮かべ 日々接してこそ 情の湧くかや

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  東京から孫が来た。生後3ヶ月で600キロの長旅はやや案ぜられたが、昨今はそのようなことはあまり気にしないようだ。こんなことからもコロナ前の生活が戻りつつあると実感される。孫は元気で機嫌がよかった。これで十分だと思う。

鳩逃げず 椋鳥逃げて 雨の後 頸をツキツキ 野っ原啄み

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       鳥たちは何を啄んでいる?

ドドドッ 腹に響くは エンジン音 霞に烟る 海の家路

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    先日首相が襲われた和歌山漁港の仕分け場。それと同じような垂水漁港の仕分け場というか競り場が見渡せる。垂水は漁港だ。中心は海の安全を祈願する海神社。

バスに乗り 赴き行かば 店休日 稀にその気に なりし買い物

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    今朝は霞んで海も見えやしない。湿度も61パーセント。植物は麗しいだろうな。目立たないけど、ここのところ実は盛り上がっているのが松の木なのだ。あまりに注目されないので気の毒になる。  

矢印の 指す方向 正しいか 自問しながら 暗闇の山

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                ナガミヒナゲシ・垂水年金会館前花壇  アルカロイド性の有害物質を含んでいる。素手で茎を触ったり折ったりすると、手がかぶれるかも。  

閉ざしてた 下絵みつけて 色重ねれば 別の世界の ストーリー始まる

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 ダイコンの花は、昨年までは複数の箇所で見かけた。誰が植えたというものではないが、可憐で上品な花だ。一つは、平磯緑地なぎさ池出入り口の花壇の中。これは今年も見られた。もう一つは、平磯緑地西端の浜辺だ。行くのには岩がたくさんあって人は入りにくいところだ。今年はない。  今年見かけた特徴は色が薄いこと。

鰡の跳ね 鴨の潜りの 人騒ぎ 老女お喋り 老爺佇む

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   今年はいつまでも肌寒いような印象だ。年行って活動が鈍ったせいかしら。           名谷のパティオで八重桜を見た。ふわふわしてふくよかな印象だ。

戦うぞ 気概はいつか 必ずと 明日を迎える 大いなる糧

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                 ツツジ・平磯緑地  認知症を患う友を訪ねて将棋をする。いろいろ試した結果、飛車角の二枚落ちはややハンディ過多で、結局飛車落ちで落ち着いている。認知症がひどくなる前から将棋は指しているが、棋力にあまり差はないように感じる。昨日は久しぶりに緊迫の展開となり、友人の考慮時間も長くなった。毎回5時間程度滞在しているが、これがちょうどいいようだ。  

歩けなく 時の来るのを 思いつつ 今の有り難み 忘れがちかな

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               ダイコン・14日・平磯緑地なぎさ池入口    今年は少ないダイコンの花。

ふと戻る 70年前 幼き子 台風来たりて 屋根吹っ飛ぶ

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  一番古い記憶はなんだろうか。  生湯を使った桶の板と答えたコンプレックス作家がいたが、さて自らは?  台風が来て屋根が上に飛んだということがあったらしい。それを見たのか事後に聞いたのかはっきりしない。幼稚園に入るより小さい時に三輪車に乗っていた。これは多分写真があって、そこから記憶として刷り込まれたかも。幼稚園で父母の会みたいなものがあって、同級生の女の子と二人で開会の挨拶をしたことがあった。この頃教会の芝生で四葉のクローバーを探していたことがあった。今のところこの頃だろう。

金を借り 返済するは 生まれおち 死するに似たり 難渋するかも

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  「吾輩は猫である」もそろそろ読了するが、吉本新喜劇で見られるような掛け合いが見られ、正直ホッとする。これは漱石の言い分が世に認められて、新喜劇に採用されたと考えるからだ。  例えば、こんなくだりだ。   「ともかく女は全然不必要な者だ」と主人がいうと、   「そんな事をいうと妻君があとでご機嫌が悪いぜ」と笑いながら迷亭先生が注意する。   「なに大丈夫だ」   「いないのかい」   「子供を連れて、さっき出掛けた」   「どうれで静かだと思った。どこへ行ったのだい」   「どこだか分からない。勝手に出てあるくのだ」   「そうして勝手に帰ってくるのかい」  最後のセリフで笑ってしまうのだ。

アスファルト 赤白散りばめ 落花敷き 今年も終わる 惜春の候

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   今年は結構寒さが続くと実感していたが、弘前では例年よりかなり早く桜が満開を迎えたようだ。10年来この頃に弘前に赴きたいと思って、これとは思う友人に声をかけてきたが、果たせずにいる。理由も含めて果たせていないことに、今の年齢を勘案すると、しみじみとした哀感を感じる。   多分一人でパッと思い切れば、儚く消える憂の類ではあろうが、そんな払い方にどんな意味があろうかと思ってしまう。

もどかしさ 国の化粧を 施した 昔ながらの 役割人よ

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  世界を二つに分つのが一般のようだ。民主主義国と権威主義国。意思決定過程や一般国民の生活そのものは、あんまり違わないようだ。  こういうと、彼の国で為政者の悪口を言ったらすぐ刑務所行きだ。日本ではどうだ、誰だって岸田首相の悪口を言っている。  日本で言えば存在する権利をあまり行使しないから、結果的にはあの国と変わらない、ということだ。  明確な違いはある、政治的反対者への対応だ。かの国々では過酷を極める。日本ではもちろんそれほどではない。  いずれにしろ大きな組織、権威があると、その中の歯車人は、個性を失い、正義感を失い、誇りを失う。

内海に 放尿すれば 陽の強く 煌めく水の のたりのたりと

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               9日・イペ・JR元町駅東出口公園    知らない街をのんびりと探索するのは結構楽しい。何か変わったものはござらんか?というのは一般的に言える。  さて勝手知ったる神戸の街をそんな目で眺めてみたらどうだろう。いろんな事情でここのところ出かけるのを控えていたわけだし、企画としては結構面白い。  結局は懐かしい商店街を歩き、懐かしいカレーショップに入って、懐かしい無愛想な女主人の僅かな変化に心を配る。  八百屋さんばかりがバカに増えた元町商店街、田舎のそこそこの街のそれなりの商店街のムードがたっぷりでありました。

脳内を 隅々探す 忘れられた 遠い虚しさ あの恥ずかしさ

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                8日・カラタチ・平磯緑地  ある種の感情の記憶は、覆い隠される。そしてそのほとんどは忘れ去られる。忘れ去られることを望みながら、ほんの少しかもしれないがその記憶を保存しておきたいとも思っている。そんな感情を文字にするのは、こんな微妙な状況にはそぐわないとも考えられる。ありきたりな損得勘定を超えたところに、営みとして価値のある「文学」がある。        

消えていく 文字にしないと 戻せない 瞬時浮かんだ あの切なさも

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      歳を取ると記憶量が落ちてくる。そこで対処するのが外部装置だ。つまり脳内に保存できない分、外部で保存する。有体に言えば記録として残しておく。家計簿の他に毎日経済活動のメモを日計でつけている。購入品のレシートなどもここに貼り付けてある。1日分が見開きのノート2ペイジ分となる。ここに全ての情報が入るわけだが、特に大事な情報はややもすると埋没しがちとなる。そこで大事な情報は別ノートを用意することとなる。これらの情報は数ヶ月経つと廃棄される。溜まると鬱陶しいから。  ところで毎日の経済活動以外の情報はどうなるか。それは短歌として残すこととなる。  

トビ カラス いずれが強し 空舞いて 高く漂う 人の憧れ

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             ハナニラ・6日・平磯緑地水道局敷地    桜を見飽きた後はこんな花を発見するとホッとする。旗振山登山道のうち山陽沿線沿いの登山道の登り口付近の階段側に多くみられる。

老人は 悔いて嘆いて 眠りつく 疼きと共に さらに老けゆく

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             牧野植物園はこの度一新された。新しい施設が多く設置された。コロナ前は毎年訪れていたが、こんなに雰囲気が変わったのは初めて。変わらないのは中のレストランの官僚的なところくらいかなー。

側溝に 無惨に集まる 花骸 白き輝き 心に褪せず

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             キンギョソウ・高知牧野植物園       桜が終われば、ツツジ、その後は、キョウチクトウ、ムクゲ、サルスベリ。その間にネムノキ。「毎年毎年変わりもなく。」は、貶し言葉ではなく、最高の褒め言葉。ずっとそうであってほしい。

朝発てば 去り行く街の しがらみが 追っかけ追っかけ そして風に散る

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               3日播磨屋橋裏手の疏水で   高知に足を運んできた。暖かくてブライトニングだった。若者が目立ち、神戸と様相を異に。

海越の 須磨の頂 花真綿 歩いて向かえば 九十分余

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       垂水の平磯緑地の東端の展望所から鉢伏・旗振両山が望める。その山腹に桜がよく見える。歩いて行ってもそこそこだ。

紅に染む サクラドームを 駆け抜ける 華やかき日々 ルネッサンス

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  長い冬をやっと終えた。それはとっても暗く、身を縮ませるような世界であった。何もかも消極的に沈む世界。  そして春が来て、輝く桜が目の当たりに。昨日までとは違う、明るい、希望に燃えた、前向きな世界。  中世と対比されるあの輝かしい世界。全てが迸る。