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石碑裏 隠れたつもり 尻尾さん 春は匂うが 風はごめんだ

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   毎朝起きたらまず楽曲を聴く。今はベートーベンの交響曲第7番と8番だ。CDに不具合が出るまでずっとずっと聴き続ける。飽きることはなく、どんどん深みに嵌まる感じだ。  その前はブライトマンやヘイリーの声楽集であり、その前はショパンのピアノ曲集であり、その前はNHKの名曲アルバムの「ヴァイオリンに魅せられて」だった。  朝起きてテレビから人声が聞こえるのが一番嫌だ。朝のイメージとそぐわない。騒々しくて未成熟で生半可で神経を逆撫でする。   歌詠めば 隠れしことの 明らかに 知らざりしこと 知った悔い知る                 

初ほけきょ 春めく日差し 風柔ら 猫聴き惚れて 斜面に佇む

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煽られる 高き枝枝 微笑みて 大地の息吹 そこはかとなく

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   決まり台詞は聞いていて鬱陶しい。例えば「〇〇の外交はしたたかだ。」どうしようもない、打つ手がないといった閉塞感をただ単に繰り返し、訴えているだけだ。彼らがしたたかなのは、その理由がはっきりしている。結果に命がかかっているからだ。失脚すれば命の補償はない。権力だけが安全の保証であり、そこに憲法も裁判所もなければ、誰の約束も存在しない。それに引き換え、当地の政治家はどうだ。失政を犯してもぬくぬくとしている。そんなところに、したたかさが存在しえようか。  同じように唖然としたのが、侵攻された地からの特派員中継だ。ホテルに籠って、南方に火の手が上がりました、だって。爆音に記者がオロオロしていることだけは伝わった。しかし、生活のほとんどを失くそうとしている人のリアルは全く伝わらない。記者は当地にいるのと東京にいるのと寸分変わりない。イラク戦争があった時、現地報告として、カイロから中継していたようなものだ。

春の今 どうしているの 蝉たちは 冷たい地中 潜み蓄え

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      下り坂 病院からの 淡路島 いつもと違い 猛々しい  毎日自宅から見ている淡路島は穏やかなボヨンとした印象だ。平べったくて変化のない凡庸な風貌なのだ。  ところが病院からの帰り道は急勾配でそこそこ標高もある。そこから淡路島を見るとまるで違った印象なのだ。凹凸があってゴツゴツしている。  自宅から見える淡路島が老年だとすると、下り坂から見える淡路島は壮年そのものだ。  危険な香りさえする。  先日淡路の花桟敷公園から見た六甲山にも驚かされた。いつも見える鉢伏山、旗振山は、山というより丘みたいに、すぐ登れる親しみ溢れた場所だ。ところが花桟敷公園から鉢伏山、六甲山を見ると、驚かされた。鉢伏山の背後に大きな大きな山塊が黒々と控えていたのだ。鉢伏山を含む須磨アルプスが、小さなプードルのようで、後ろに獰猛なシェパードが控えているような感じだった。  

減っていく タコの赤ちゃん さかなの学校 隣人嘆き 話かけてくる

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 「さかなの学校」は、三井アウトレットパークマリンピア神戸内の体験学習施設。  そこで蛸の赤ちゃんを飼育していたのが、どんどん亡くなっているらしい。  これを同じマンションの住人ながら名前も知らない人が話しかけてくる。このご時世マスクをしているから顔も定かではない。  元気な老人はその辺りを散策したがる。そして何かしら感慨を漏らしたい、伝えたいわけ。  一方で所在無げに単に歩を歩めるだけの人もいる。誰かと話したいのではと推測する。  

松の上 白雲流れ 青引き立つ 目線上げれば 満天のくう

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    冷厳な 風吹き荒び 襲い舞う ひととき経ちて 温かみ戻る

こころざし 人生全て 枠付ける わかるのはほぼ 終末あたり

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   毎週目を通す記事は二つ。  一つは、週刊文春の「言霊USA(町山智浩)」。アメリカがとっても好きになるし、とっても嫌いになるコラム。  もう一つは、週プレの「リリーフランキーの人生相談。」今週の相談者は、21歳年下の女性と同棲を始めた47歳男性。出会いが変わっていたことと年齢差を気にしている。回答者の発言の全てが全く違和感がなかった。あたかも自分がそこにいて話しているような錯覚さえ覚えた。したがって感銘もなかった。  たまに見る記事に、「蛭子能収のゆるゆる人生相談」(女性自身)があるが、これにおいてすら感銘を受ける発言を見出すことがあるのに。  かくのごとく「リリーフランキー」という人にシンパシーを感じている。  こういう人がもっといればいい。吉行和子とか・・・・。  昔こういう話をできる相手がいた。どこへ行ったのだろうか。