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1月, 2023の投稿を表示しています

休みなし 次から次に 病む箇所よ そろそろ買い替え 考えないと + 統計数字

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      鴨は水に漂いながら、首は羽の中に潜り込ませる。0度近辺の気温とはいえ、水はそこまで低くはない。水に漂ってる方がまだまだ暖かい。時たま潜って魚を追いかけ回す元気者も。  昨日までの訪問者数は、4408名でした。  

オセロー 盲の将軍 見通せず 部下の真贋 破滅を招く

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    厳しい寒さが珍しく続く冬となった。    シェイクスピアの4大悲劇の一つ「オセロー」。

棋譜浮かぶ 頭の中の 大激戦 王将争う 怜悧と望洋

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      音符模様 マガモが描く 冬の川 ススキの観客 ウエーブして     羽生さんが四段だった頃、盤上には人生が現れるなどとほざいて若手の棋士を揶揄するようなベテランが少なくなかった。所詮ゲームじゃないかという声は少なく、我々はケムに巻かれていたのだった。それをスッパリと切り裂いていったのが羽生さんだった。  女漁りの棋士や空咳長ネクタイの近所迷惑元神童棋士や色ボケの突撃棋士などを極めてクールに始末していったのだ。  ところで藤井君はどんな役回りを担っているのだろうか。将棋界の仲良しクラブ化を払拭しようとしているのは理解できる。彼はまさにガチンコなのだ。でもそれだけだろうか。  師匠と喧伝される人物から何も期待できないことははっきりしているが、それを嘆く必要もない。羽生さんから師匠の影を感じたことはほとんどない。

野良猫ら 名前呼びつつ 老婆舞う 日々の糧配り 日課無事終え

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   水と餌満載のキャリーバッグ引き、老婆は今日も「クロやクロや」と呼びかけながら、公園の曲がりくねった道をゆく。

木の下で 雨を凌げば 時の経つ 飽きずに聞ゆ 森の囁き

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  森を散策していて雨に遭遇したというより、雨の森に分入ったというのが本当のところ。

唆され 謀反に至る マクベスの 単純さに 惜しむ言葉なし

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  シェイクスピア作「マクベス」。「マク」は、マッキントッシュ、マクドナルドの「マク」です。

履いてみた 新しい靴 痛みあり 靴下引っ張ったり 紐緩め 試す

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  昨日は積雪のため通常靴では歩行できず、登山靴を履いて公園を散策した。一旦溶けて氷結した道路で三度ほど左足が滑った。交差点でミニバイクが信号停止したところ、止まりきれず横転し、乗車していた婦人が投げ出された。転倒したのは不運だったが、後ろに車両が居なかったのは幸運だった。(表題首と写真と本文は関係ありません。)

のんびりと 雪知らぬ街 雪襲う 冷たき強風 過酷さ連れて

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   こんなに積もったのは、4、50年知らない。雪に備えのない街は対応に右往左往。

トルストイ ドストエフスキー すごいけど シェークスピア 皆個性的

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    今日明日にも孫が産まれそうだ。厳しい冬をイメージして私なら「柊子」と名付ける。いつ生まれるかは人智を超えている。「しゅうこ」と読む。

過ぎる日々 積み重ねようと 忘れない 節目節目の 心模様

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  「マクベス」は、王を殺し王位に就こうという話。その妻のセリフがこうだ。「私は子供に乳を飲ませたことがある。自分の乳を吸われる愛おしさは知っています。でも、その気になれば、微笑みかけてくるその子の柔らかい歯茎から乳首を引ったくり、脳みそを抉り出して見せましょう。」

復讐劇 身悶える ハムレット 母に裏切られ 居場所失う

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                 「ハムレット」  慣れないせいか読みづらかった。格別の思いも抱かない作品であった。

患者溢れ 待合室 我慢比べ 病への想い 限りなく強し

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恩師誉む 紅い椿の 首落ちポエム 誉めることから 始まる教え

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 「ハムレット」を読み始めた。小説で言えば、会話の部分ばっか。「地」の部分がいかに客観的で冷静かを改めて感じた。

心地よい 暖か冬 汗ばみて 枯れ松葉踏み ランチに向かう

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  「戦争と平和」はストレス少なく読める小説です。一番印象的なのは、クォツーゾフです。ロシア軍の最高司令官。侵攻したナポレオン軍に対してほとんど戦火を交えずひたすら退却を重ねる。あろうことかモスクワまであっけなく明け渡してしまうのだ。  皇帝始め国民の多くから非難を受ける。  部下から提案される反撃案を悉く退ける。この戦争は何もしなくても負けない。反撃するということは部下を死地に追いやること以外にない。何もしないことが正解でも、何もしないことはとても難しい。ほとんど誰も彼を支持しない。  元々今回のウクライナ侵攻に見られたロシア政府、軍の暴虐ぶりは、その国民性に由来する ものか否か、ヒントでもないかとこの小説を読み始めた。  まあ結果は、予想の範囲内だった。モスクワに侵攻したフランス軍の暴虐ぶりも相当だった。国民性は関係ないとトルストイは言っている。

から元気 それでもあれば 生きられる 人の目なしの から元気こそ

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  戦争と平和エピローグ第二部約80ペイジは、辟易させられる。戦争論、権力論が延々と、滔々と語られる。それまでのお話からあっさり縁を切って、言いたくて言いたくて仕方なかったことのよに、うんざりを伴ってくる。  戦争についてマジに考えてみたいと思う方には必見かも。

煩いな 地震で死んだ 大事な人 失う悲しみ 理由を問わず

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今年こそ 是非会いたいと 年賀状 その気になればの 決まり文句

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                    高丸小学校校庭  近くのアウトレットが昨日で一旦閉めた。1999年開業というからここに引っ越した前年ということになる。ベランダから駐車状況がよく見えた。今日は客入りが悪いとか、いいとか、日常的な会話だった。全面建て替えするらしい。レジャー施設も備えるというが、それはなんだろう。2年後に答えが出るそうだ。

ドクドクと 大地揺らし 気響かす 海辺辺りに 妖気漂う

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 なんなんだろうね。どんより曇った日だった。腹に響くようなそんな音する?下水処理場あたりだけど工事の気配はない。  

木下に 鼻紙落ちて 不調法 異質の白さ ドンと居座る

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  ドストエフスキーもトルストイも神に対して極めてストイックだ。その思いの中において欠かせないパーツだ。ところでそんな信仰を持たない読者としては、この問題をどう考えたらいいのだろうか。本当には彼らのことを理解できないと思い切るべきなのだろうか。長く深く念頭をさらない問題だ。

暗闇の 鈍く光る窓 煌めいて 縮む拡がる 鼓動のように

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 夢で見たシーンはほとんど覚えていないものだが、このシーンは珍しく覚えていた。何か生命力を感じた。  

西の風 上枝揺らし 突き上げる 白波の海 低く吠える

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              ススキ・平磯緑地・1月11日

クソっと 強く自ら 貶める 整理つかない 悔いと恥辱

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                  ヌルデ      

モンブラン 自然の甘み 口に溶け 美味いコーヒー そっと寄り添う

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オオハナカタバミ 六甲全山縦走の西の出発点は、塩屋と言う説と須磨浦公園という説があるが、両地点は数百メートルしか離れておらず、まあどちらでもいい。後説には鉢伏山を含むから妥当かなとも思うが、地形的には前節の方がしっくりとくる。その須磨浦公園駅前に素敵なカフェが一軒ぽつり。モンブランをいただいたが、上品な甘さで美味しかった。景観のいい店には美味しいものはないというのが持論だが、嬉しい例外となった。自宅から数駅しか離れていない。又是非。  

浜歩く 冬風沁みる 階段ベンチ 低血糖想い ドーナッツ食む

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              明石海峡大橋から明石市街を臨む    舞子の浜は結構な強風だった。もちろん凍れるほどではない。日差しは明るい。要は見通しが極めていいということになる。写真中央に写っている一際高い建物は、明石駅前のタワマンだ。こういうのをランドマークって言うんだろう。あそこまで歩いて1時間。

しみじみと 一日思い 深呼吸 そのまま寝入る 山小屋の夜 + 1年の報告

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1年間の掲載数は365首、創作数は1057首、訪問者数は4185人でした。   

常套を 排したいと 意識する 逃れられない 蔓延る常套

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  常套句を排して真実に迫りたいというのは、創造作業に従事するものの念願と言える。真実に迫りたいと言えばいいものを、「常套句を排して」と付け加えざるを得ないところに、いかに常套句が幅を利かせているかを見ることができる。そして「句」よりさらに問題なのが「反応」だ。桜とくれば、「美しい」「儚い」「潔い」といった反応だ。  自由詩の世界を覗けば、この常套を配するために、いかに滑稽なことが行われているかを知ることとなり、時に同情し、時に失笑することになるのだ。  そしてこの常套を排するという考え方は、創作分野のみならず、多くの分野においてもその重要性が認識され始めている。

身の締まる 冷気頬撫で 海辺風 馴染んだスニカー 今朝は軽やか

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   朝カーテンを開けたら久しぶりに靄っていた。

心なし 華やぐ声の 朝の海 お調子者の 初日の出待ち

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  神社であれ、お寺であれなんでも拝む人が少なくない。日の出であったり沈む夕日であったり、山であったり、岩であったり。  

海面を 滑空していく 海鳥を いつか堕ちなんと 凝視する浜

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                    アラカシ   住まいのごく近くに明石焼の店があった。焼酎の種類も多くあても悪くはなかったし、接客もマスターの後輩だというアメラグかラグビーの現役の学生が入れ替わり立ち替わり務め、それなりによかった。ところが汚かった。店中油がまわり、その上に埃が乗った印象だった。  それはずっと気になって徐々に足が引き気味だった。マスターともその母親ともよく話す関係ではあったが、それでも気になってはいた。  そこにコロナだ。さっとあっという間に客が引いた。引いた理由は違うとは思う。出入り口以外に開口部がなかったのだ。換気状態が極めて悪いと判断されたのだろう。  そこが昨年後半閉店し、すぐに別の店が昨年末開店した。持ち帰り専門のたこ焼き店だった。小学生の孫の話によれば、まだ腕が未熟らしい。

年々と 去り行く人増え 罰ゲーム 送る度知る 「無に帰する」意味

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(359日目 ) 樹木の名 覚えずとも 愛おしめば いのち尊ぶ メンバーなりぬ

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