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3月, 2023の投稿を表示しています

微細にして 瑣末の限り 寒暖差 文明人に おもねおもねて +統計

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 人類の歩みの99・8%は、終始腹をすかして過ごしてきた。食べれる時には食べに食べて体に蓄えられるだけ蓄えた。そしてそんな時は極めて稀だった。いつも食べれるものはないかと、周囲を見渡してきた。風に揺れる果実、戦ぐ草、蠢く小動物、そして地を揺らす大きな動物。全てが生存するために必要だった。捌かれる動物がかわいそうなんていう発想はどこを探しても見つからない。動物の霊を慰めるなんていう発想は、十分に食べてこれ以上口に入らないという状況が恒常的になった時初めて生まれた。これを文化という。  本日までの訪問者は、4048名です。    

唐突に 上目で叫ぶ 固まる場面 恥かしさ満ち 逃れる思考

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  久しぶりに須磨浦山上遊園を訪れたら、名物のドレミファ噴水プールが廃止されて、花壇になっていた。音楽に合わせて噴水が乱舞するという趣向であった。その後プールに大きなボールを浮かべ、その中に入って楽しむという趣向を試みたが、アルバイトの学生も時間潰しに難儀するという状況で、この際経費を大幅に削減するという方策に出たようだ。今までは人がいようといよまいと定期的に噴水が待っていた。誰が楽しむのだろうと疑問に思っていた。  ふと昔の恥ずかしい場面を思い出すことがある。そんな時思わず叫んでしまう。思い出す作業をやめて、どこかに去ってくれと願うのだ。

初ウグイス カラス恐れず 鳴き習い 重みはないが 四季(とき)を知らせる

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             カラムラサキツツジ・28日・旗振山     ここのところ小鳥たちの活動が活発になってきた。鶯といえば昔ゴルフ場でよく聞いたものだ。ホール毎に異なった習熟度の鳴き声を楽しめ、結構場を和ませてくれたものだ。ゴルフ場といえばこの時期藤棚だ。ハチが多くて往生させられた。

草の道 タンポポ横目 走り抜け 松ぼっくり まじトーキック

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  松ぼっくりで、孫娘にトーキックを教えていたが、うまくいかない。目を離さないようにと何度も注意するが、今のところ足とは言え自由に操作できかねるようだ。

しろ光る コブシサクラに ユキヤナギ 優しき風に ぐずる鼻忘れ

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    昨春の歌に次のようなものが、  今年又 白き花咲き 風なびく 華なき花の コブシたおやか ある。やっぱりコブシは、少し引く。これも持ち味。

えも言えぬ 不安に目を醒む 夜もある 何処から着し 何処に消ゆる

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  昨日は結構肌寒い日であった。出かけようという気を削ぐ絶妙の寒さ加減であった。それに細かな雨混じりでもあった。

花愛でる 喜びまた 来たりて 思わずよかれ 生き続けしを

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         25日午後・ポルトバザール・オオシマサクラ  

ストーリー 寄りかかりすぎ わかりやすさ 勧善懲悪 無い物ねだり

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  世の中がどんなに複雑怪奇に回っていこうと世間では簡単なストーリーしか受け入れられない。大要が外れていないのなら良いようなものだが、多くはそうではない。何十年か経ってたまたま真実らしきものの一端が垣間見れることがある。「えっそうだたんだ❗️」70歳を超えるとそんな経験の一つや二つはある。そしてとりあえず行き渡るストーリーというものが、作られたものであること、それは簡明であること、それは耳障りのいいものであることなどを体験的に知ることになるのだ。そしてもう一つ。だからこのストーリーはまやかしだと指摘する老人の声は常に無視されることも知っているのだ。

忘れたい 忘れられたい 時間軸 時に寄り添い 時にぶつかり

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     今年は花粉症がひどい。青年期のスギのおかげだが、青年期は100年続くというから話にならない。

毎日を 早く過ぎよと 暮らしてる 何処に行くのか 当てもないのに

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  WBCをサムライJが制し、大谷がMVPに選出された。絵に描いたような勝利劇だった。褒めることは栗山監督から、村上、岡本、吉田・・に至るまで、探すのに苦労しない。お山の大将たちを模範的な良い子にした世界のお山の大将に一言。「スゴイ‼️」

暖気つられ 小鳥ちょこちょこ 這い出して 脚揃え跳ね 車道渡る

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  昨日はWBC準決勝で、サムライ Jがメキシコをサヨナラで勝利した。決勝打は村上が放った。よくやったというより、やっとやったという感じ。ここまでの功労者は二人、吉田正尚と大谷だ。吉田は地味だが、与えられたチャンスを着実にものにしてきた。そしてやはり大谷だ。その場その場で大谷にはいくつかの選択肢があった。そしてその時に決めていた基準は、明確だ。FOR THE TEAM。大谷なくしては語られないシリーズとなった。

年寄りは 死ぬだけなんて 戯け者 死ぬだけなんて お前もだろう

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  近頃はよく小鳥を見る。鳩や椋鳥、雀、ハクセキレイ、ジョウビタキくらいは分かるが、それ以外はすぐにスマホを取り出して撮影し、後で調べても結局分からずじまいなことが多い。鳩は近づいても逃げもしないのに、それ以外は2メートルと近づけない。  

「座りたい」 叫ぶ子供を シカトして 話し続ける  車内気まずい

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  藤井君が棋王戦を制して六冠となった。後は名人位が当面の目標となる。昨日渡邊名人は、あっと驚く奇手を放って、戦意を疑わせた。藤井君との対戦成績の悪さを意識して、何とかしようと焦った。  渡邊名人が本来の図太さを取り戻したら、史上稀に見る名棋戦になる可能性がある。渡邊名人はまだ30代で、余技には知らず、本来の将棋小僧に戻るべきだ。つまり将棋に熱中してほしい。

嫉妬して 妬んで恨んで 泥沼に 溺れて縋って 涙に咽ぶ

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              18日平磯緑地・オオシマサクラ    貴景勝が昨日から休場に入った。優勝してさあ横綱という場所に不都合がついて回るようだ。不機嫌な顔相は見ていても愉快ではない。

信じれば 鰯の頭 有難し それさえ出来ぬ さすらい人

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  アメリカ渡りの新興宗教の仕事をしていた時、ある信者がしきりと、「鰯の頭も信心から」と言いますからね、と話していた。元々空気の読めない人だったけれど、その時の周りの雰囲気も決して友好的といったものではなかった。  当時複数の新興宗教団体と仕事上付き合っていたが、概ね、会員は宗教上の話題について、決められた話題以外について話すのを苦手としていた。馴染みのない話題だとそれが教義上どう取り扱われていたかわからないからだろう。さてささやかな経験から言うと、洗脳されていると意識した信者はいなかった。本音で話す時に、メジャーな宗教はやはりすごいと言ったようなこともあった。それなら変わればよさそうだが、従前の流れでそうもいかない、と言った風情なのだ。どこか日本的なしがらみを感じるのだ。  中学時代の愛読書にジョン・ガンサーのインサイド・ヨーロッパ・ツディというのがある。学術的ではなかったが、やたらと各国の事情に通じていて、何度も読み続けていた。その中にこんな記述があった。「イタリアはカソリック信者が90%後半を占めているが、ヨーロッパでは一番共産党が強い。なぜでしょうか?」答えは簡単。一生のうちで一度も教会に行かない人が半数以上。  結局流れ着く先は宗教のない世界になっていた。  人間の弱さを知れば知るほど、宗教を持っている方が得だと実感する。でもそんな功利的な思考は宗教には失礼だ、というくらいの尊敬の念は宗教に持っている。

何の為 詮なきことに 終始する 生まれて老いて 土に戻りて

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   WBCでサムライJが快勝した。岡本がホームランとタイムリーを放ったが、何とも花のない選手か。持って生まれたものとはいえ気の毒になる。花がないといえば、中野と湯浅。阪神の御両人も存在感がない。悲しいね。

前を見て たまに横見て 振り返る いつも見えない 自分の姿

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   14年来通院していた医院が閉院することになった。

違和感を 言葉にできぬ もどかしさ そこを詰めれば 異なる世界

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  アレクサが、どの曲もどの曲も「見つかりませんでした。ごめんなさい。」を連発していた。朝で混み合ってるのだろうか、チャットG P Tと関連があるのだろうかと、脈絡なく野放図に想像の世界だけが広がっていく。アレクサを導入して以降CDを掛けることが全くなくなった。ただリクエストにピンポイントで答えてくれないのには最近ややうんざりしてきた。

別れあり 春は残酷 来るは来る 思い厳しく ああ風緩く

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    毎日花粉に悩まされる日が続く。ついコップのイメージが浮かぶ。コープに水を注ぐ、そして最後の一滴を注いだら溢れ出す。花粉症発症のメカニズムらしい。コップに水がそんなにない時は、いくら花粉が世に溢れようとなんともないらしい。そういやー昔はよかった。  ところでこの例え自殺の時にも聞いたことがある。その流れはこうだ。些細なことがきっかけで自殺した人がいる。えー人はあんな些細なことで死んじゃうんだ❗️例えば遅刻して出社。 遅刻出社自体は些細なミスだけど、それが最後の一滴だったら、コップは溢れ出す。  

座して待つ 足掻き悶える いずれかな 待つこと自体 騙し絵塗り絵

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  現代において好まれるのは、詩歌か散文かと問われれば、概ね前者と言われているようだ。長く表現されることは好まれない。イチローであり、大谷であり、翔平である。鈴木一郎でもなく大谷翔平でもない。つまり一文節が好まれ、二文節以上は一文節に集約される。しかし、そこには詩歌におけるような一語一句に対する造詣も愛情も感じられない。むしろ現代は、詩歌にしろ散文にしろ、文学そのものが虐げられ、忌避されている時代である。(なお散文の対義語としては韻文を上げるのが一般である。)

走っては 見えないもの 歩けば 目に入る気に入る 心奪う

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  すっかり春めいてきたが、花粉の舞いようも尋常ではない。一方梅もそろそろ店仕舞い。そろそろソメイヨシノの花便りもやってくる。

辿り着く 船もありせば 深海に 佇むもあり 共に希望色

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  藤井君は羽生さんに圧勝し、王将位を防衛した。大谷君は驚愕のスリーランを放ち、日本を準決勝戦に導いた。日本中が満足感に満たされたのである。

春を告ぐ くぎ煮発送 全国に お礼の便り しみじみ楽しむ

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                          ポルトバザール入り口・オーシマザクラ・10日    垂水の中心地を真ん中にして東側の海沿いが平磯緑地、西側がポルトバザール、舞子となる。現在の日課は、垂水中心から平磯緑地東端に行き、引き返すコースで、概ね5キロ。一方垂水中心からポルトバザール、舞子公園に行き、引き返すコースで、これも概ね5キロ。個別に両方行っても、続きで両方行っても、概ね10キロとなる。新しい日課として、両方を行くことにするのが、とてもシンプル。これに決めた。

勝ち以上 無上の喜び 藤井君 君の一手に 渾身を見た

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 時折相談を受けることがある。注意していることは、以前と異なり、中庸を心がけていること。そんな中お年寄りの相談はおおむね後味が悪い。長い時間を要する上、自分の意見と合わないことを言うと、ぷいと怒って終わってしまう。これは認知症の初期症状の一つ。今までなら、言い合っても最後に「ごめんごめん。今日は気色ばんでしまった。」と言えてた人が、最後のこの言葉を言えなくなってしまう。その結果友人たちが去っていく。ただこの結果だけは客観的に認識できている。「最近友達が減って。なぜだろう?」という。  自省を促す事実ではある。

もの言わば 波紋を起こし 落ち着かぬ うちに篭もりて 遊べ自らと

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  昨日は、将棋A級順位戦プレーオフが、藤井竜王と広瀬九段との間で、深夜12時前までおこなわれ、藤井竜王が制した。これで名人戦の挑戦権を得た。各持ち時間6時間で、朝10時始まりの一日制は、ちょっときついんじゃないのというのが正直な感想だ。  将棋界については疑問が二つ。女流棋士の存在と椅子ではなく座敷での対戦形式だ。前者については、女性の棋士という意味ではない。男女のハンディキャップ制なのだが、スポーツ以外の分野でそんな存在は知らない。女性にとっては蔑視そのものの制度で、これに甘えるのを潔しとしない心ある女性が「棋士」になろうと挑むが、残念ながらいまだに実現していない。いつの日にか大願が成就されんことを切に願っている。後者については、囲碁界を見てほしい。将棋界は保守的でかつ頑迷である。近頃の若い子たちに何時間も座敷に座らせるゲームがありうるか。

店々が コロナ廃りて 甦る 目見えぬ敵 喜びも半ば

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    甦るといえば、イカナゴの釘煮作り。一昨日たまたまイカナゴを見つけ、エイっとばかりに作ってみた。やや材料に難はあったものの、結構な出来栄えとなった。出来栄えの判定は出来上がったものがぐにゃっとしているか、ピンとしているかである。釘煮作りに必要なのは、体力と根気。今年は漁期と気力が一致したが、次はいつになるのやら。

湯船をば 跨ごうとして ふらつけば 転倒負傷 脳裏を過ぎる

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  周りには老いて機能低下した人がわんさといる。自らの先行きを想像するのは難しくない。ろくに喋れずにうんうん唸ってる人、視野に狭窄を生じてどんどん藪に入っていく人、お漏らしをしてもこれは水がこぼれただけだと言い張る人、天井近くに魔物が住んでいると思い出したようにいう人・・・・・・。

竜王の 驚きの一手 これあれば 棋王のみならず 全冠制覇

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  この日終始劣勢だった藤井竜王。最終盤に至り評価は一時1パーセントに低下、AIからすればノックアウトを宣告したことになる。渡邊棋王も視聴者も全てがそう思った。ただし一人だけそう思わなかった人がいた。彼は小さな小さな灯火を守り育てていた。虚しい努力だなー。投了しないのかな。そんな思いで見る彼の姿は弱々しく見えていた。しかしこれはバイアスがかかっていた。気が付いたら敵の玉は風前の灯となっていた。  藤井竜王は勝利を手に掴みかけていた。ここで信じられないことが起こった。決め手を見逃したのだ。信じられないこと。盤前で嘆き悲しむ彼。  ミスは仕方ない。まあどうでもいい。AIに見放されてから、敵を窮地に陥れた過程を愛おしむ。これを宝としたい。

死の忍び 寄り来る様 それに似て 冷厳にして かつ確固たる

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 棋王戦第3局がまもなく始まろうとしている。藤井竜王にここのところやや影が見え隠れする。これだけ重要棋戦が重なると消耗も激しかろうと推察される。しかし羽生九段も同じような経験をされ、タイトル戦99期の偉業を残されている。藤井竜王はまだその1割程度に過ぎない。彼の今後30年を見れる可能性があることは喜びとしたい。  

ストーリー なければ進まず 見越して 用意する人 狡奸知の人

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    この時期は実際は寒くないのに、寒さのバイアスがかかっている。このバイアスも懐かしく思える頃がすぐにやってくる。ところで酒はアルコール度数が上がるほど美味くなるというのは至言だと思う。ビールは勿論日本酒も全くうまいと思わないが、シングルモルト、ブランディ、ジン、ラムなどは、ショットグラス1、2杯で十分満足できるほどの芳醇さを持っている。水割り方法は邪道だと思う。せっかくの酒の旨さを殺している。こういう感慨を持つようになったのはごく最近であるが、それはとっても残念なことである。

向かい風 大きな岩の あるような 鳥海の風 体の覚ゆ

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  鳥海山は秋田の名峰。風がきつい。歩けずに近くの岩を抱え込まざるを得なくなるほどだ。てっきり穏やかな山容と思い込んでいたが、頂上付近の険しさは目を見張った。

早く来い 早く知りたい 明日よ明日 灼熱地獄 暗黒でも

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  三月は芭蕉が旅に出た月である(但し陽暦では5月)。日光で取り上げたのは二つ。仏五左衛門と日光山。取り上げられなかったものにこそ関心が向く。