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6月, 2023の投稿を表示しています

全て知る 刻の刻み 休みなく 頭を抱え 息止める時も + 統計

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 昨日までの総投稿数は529首で、総来訪者は5568名でした。  

汗の垂れ 草の香に咽せ 見上げれば 先の先の 頂き想う

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        ゼルトネラ・テキセンシス 29日 平磯緑地  登口から頂上を望める山もあれば、頂上はピークをいくつも越さなければならない山もある。後者においては、目の前の山は単なる一つのピークに過ぎない。初心者は目の前のピークを頂だと騙されてとりあえず頑張ることになる。後者においては、1日では頂上にたどり着けない山もある。宿泊するのは山小屋か、自前のテントとなる。山小屋には管理人がいる山小屋と管理人がいない避難小屋がある。ある時期には管理人がいるがそれ以外の時期には管理人がいないという山小屋もある。一般的に後者を深い山という。頂上の標高はあまり問われない。標高がそう高くない山でも深い山と言われることがあることになる。例えば飯豊山。  

歩けない 時期こそありて 思い知る 聞き及ぶ度 あさはかなりと

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 今年の梅雨はさっと降ってすぐ止む。「男性的」というと語弊があるから、やっぱ雨量少ないし、という。  昨日4代目松川に行って、最中を所望すると、16個あるから全部如何という。そう言われりゃ断れない。というわけで、また帰りの電車内で食した。これが結構美味い。  

あの夏は 名さえ浮かばず 秋の来て 「覚悟」を知りて 俄に慌て

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                キキョウカタバミ・27日・平磯緑地  一見してサクラソウと思ったが、違っていた。共に5弁花だが、やはり季節を考えるべきだったか。

ルーティーン 全て踏まねば 収まらぬ 自由な時間 ほんの細やか

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               クチナシ・平磯緑地・26日  TBSの「逃げるは恥だが役に立つ」を観た。題名に違和感があって今まで見たことはなかった。設定に多くの無理があるが、ヒロイン新垣結衣の魅力で押し切ったという印象だ。ところどころメールの用語の使い方に秀逸なものがあったが、それがマンガ原作者海野つなみによるものなのか脚本家野木亜紀子によるものかは不明。ヒロインの妄想が映像で表現されていてとても楽しい。  この作品も原作はマンガ。こんなことが世に溢れている。有能な人材が文字の世界から漫画の世界に引き寄せられている。この件についてはノーコメント。    

野良猫の ブラッシングに 勤しむ女 マスク姿の 非常時の中

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               アジサイ・25日・平磯緑地    湿度の高い日が続いてはいるが、雨が降ったという実感は極めて少ない今年の梅雨である。だから植物がぐんぐん生気を放つ場面にはなかなか出くわさない。

夏車内 ももひけらかす 若き女の 自然さにふと 昔日想う

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             クチナシ・22・6・27・平磯緑地    干していたタオルが3枚消えていた。風のせいだと思われるが、ここでも珍しいことだ。 垂水は神戸市内とは言え、鉢伏山と旗振山で隔絶され、市中心部の気象状態とはかなり異なる。その昔は旗振山が摂津と播磨の国境であったという。

決まった日 見舞う老友 日によって はしゃいだり 沈み込んだり

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              満開ネムノキ・23日・平磯緑地    トーマス・マン著「魔の山」もあと残り数百ページとなった。さて次は何に取り組むべきか?ファウストかジャン・クリストフ?世界名作全集みたいで気恥ずかしい。  ところで「魔の山」だが、サナトリウムにショーシャ夫人が戻ってくるのをひたすら待っていた主人公。やっと戻ってきたと思ったら男連れだったという顛末。そして主人公がこの男に惚れ込んでしまうという予想外の展開。  さてこの男は何を象徴しているのか?いよいよ佳境というべきか。

株売り買い 登り相場は 心地よい 降り相場は ひたすら忍従

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                   平磯緑地・20日    昨日大谷君はドジャース相手に好投したのに、敗戦投手になった。  藤井君は今日洲本で棋聖戦第2局に臨む。  古今東西稀な2人をつぶさに見ることは、この上のない喜び。

色薄き ネムの花そよぐ 初夏の候 遠くのサイレン 現実引き寄せ

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 ここのところ株高が続いている。確たる根拠もないのに上がっているから、そのうちドスンとくると経験の長い投資家は身構えている。もちろん全て売り捌いて備えるといった覚悟のある人はいない。目下の株高の恩恵にあずかろうと怯えつつ弄ったりする。  もちろん株価の上下は誰も読めない。だからいつも怯えている人もいる。こんな人は名前に縋る。今で言えばBだろう。縋れば時も経つ。それでいいのだろう。所詮時さえ経てば。  

梅雨合間 いつ振り出しても 不思議なし わたる微風 不穏さ潜め

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                           ネムノキ満開・20日・平磯緑地     水不足なのだろう。森林公園の紫陽花と同じように、例年の瑞々しさがない。誠に残念至極。

重き空 ヘリの爆音 小煩く 早く去り行き 戻せ佇まい

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 ヘリの爆音が気になる。海沿いを飛行するのがルートなのだろうか。万が一のことを考えると一応頷ける。山際は風の流れが複雑になりそうでできたら避けたかろう。    

山の上 紫陽花盛り 小ぶり過ぎ 雨の少なさ 瑞々しさなく

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            ニワナナカマド・18日・神戸森林植物園    秋のナナカマドはよく観たが、この季節は珍しい。光り輝いていた。  久しぶりの森林公園は人が溢れていた。こんないいところなのに何かイベントがないと人は動かない。

何故だろう 昔想うは 日曜日 こんな映画も オン・サンディ・アフターヌーン

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   彼の地では日曜日の午後は特別な安らぎの時間だったようだ。休みの日曜日、午前中は教会へ行き、やっと来た自分の安らぎの時。オンサンディアフターヌーンの題で何作か映画も作られた。同じような趣向だったが、J.ギャグニー主演の「いちごブロンド」は好きでよく観た。  小さな家の、前のベランダで、ロッキングチェアーに揺られながら、うつらうつらしながら昔を思い浮かべるという趣向だ。

高き雲 青き大空 漂いて 梅雨を忘れさせ 夏を覗かせ

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 じっくり雨が降らない。  

小雨舞う 梅雨っぽいかな 冷房を 入れたがる人 切りたがる人

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           ネムノキ・平磯緑地・15日  15以上が開花した。今年は花が小ぶりだ。華やかさにも欠ける。  

雨粒の ポツリと落ちて 梅雨あいま 重たげ空気 靴音健気

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    今年ほど誕生日が気にかかったことはなかった。残り少き誕生日だからか?来年の今頃には真偽が詳になっているだろう。      

ネムノキの 眠りから覚め 淡紅の 扇状花 静かに寿ぐ

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               ネムノキ開花・13日・平磯緑地      やっと咲いた。毎年誕生日前後に咲いてくれる。

ムッとくる 蒸し暑くるし 生々しい 命欲する 力の溢れ

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              ニワセキショウ・平磯緑地    ネムノキは今日もまだ咲いていない。  

今更に いい出来不出来 競っても 何も変わらず ひたすら詠むや

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              キキョウソウ・平磯緑地・11日    降っていないわけではないのに、何となく雨が恋しい今年の梅雨である。植物に生気が見られないからそう受け止めるのであろう。  行くところ行くところ悉く雨模様だった時期がある。早池峰山、鳥海山、大峰山、大台ヶ原山そして飯豊山。曇り空の重い空の下ひたすら歩く。滴り落ちる汗。続くと当たり前になる。

友逝きし 年月数え 感嘆も 辛きあの頃 蠢く何か

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            ヒチヘンゲ・垂水年金会館・10日  20年前くらいのことだ。同年輩の友人が不摂生でゴルフプレイ中に急死、その葬式の祭壇の前で妻が漏らした。「この人の血は汚れている。」  その夜その友人の愛人を慰問した。それに同行していたのが同じく同年輩の別の友人。残された者の悲哀をしみじみ感じ取ったはずなのに、その約1週間後に自ら命を絶った。  尋常でない、平穏でない、禍々しい何かが潜んでいたのだろう。  

梅雨最中 湿り風吹けば 負けじと 外国女の のっしのっしと

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   アルマニャックは関西では手に入りにくい。梅田に赴いても難しい。そうかな?

雨を避け 慌てふためく 小雀の 切羽詰まるや 楽しみおるや

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                 ガウラ・平磯緑地  歩道の敷石を叩く突然の雨。慌てる小雀。同情を禁じ得ない。かと言って近づけば恐れ慄く。見ているより他に手はない。  

紀州見え 難波が見えて 淡路見え 空港二つ 空に爆音

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                 マツバキク・平磯緑地・7日  「何のために生きるのか?」「何のために生まれてきたのか?」などという質問をしたい頃があって、それがそれで結構自分も大人になったと自己認識している証かもしれない。さてその答えと称するものはといえば、曖昧模糊としていて残念ながら印象に残ったものはない。  こういうことを思い起こすというのは、自分自身もこの演題にそう縁がなくはなかったのであろう。  ところで今回この答えを用意した。従前の経緯からすれば単純明快なものでなければならないだろう。  生命は偶然に生まれ、死を必然とする。これが答えだ。だから何のために生きるか、その目的は何かを考える余地がない。考えて悩んでいる人に、考える余地がないとは、いいも言ったり至極だ。  「それじゃ、人を殺してもいいのか?」「自殺してもいいのか?」と聞く人がいる。これらの問いが、先の定義と如何様につながるのかは全く不鮮明ではあるが、それら一応置いておこう。  まず自殺だが、生命は神が作創造したもので、従って神のものだから、人間が勝手に始末する事は罪となる。このようなストーリーは成立しない。なぜなら生命は神が想像したものではないから。  人を殺してもいいか?という命題は、本論とは全く関係がない。人は何の定めも目的も思惑もなく生じたに過ぎないから。  ただ付言すれば、この共同体の中でうまく生き延びたいのであれば、その掟には従うべきだろう。つまり人を殺してはいけないという掟があるから、人を殺してはいけない。それだけで、それ以上の理念は全く存在しない。場合によっては共同体の掟で、例えば、人の物は自分の物と決められたら、窃盗の罪はなくなる。罪は無くなっても、自分としては後ろめたいとかいう心情は存在しない。つまり掟以上の縛りはないのである。  この考え方からいけば、生きる目的は自らが食べていくためであり、自らが着飾るためであり、自らが安逸な住居を確保するためである。本来はそれ以外にはない。  「世界平和は?貧しい人たちの救済は?感染症の撲滅は?」やりたいと思う人がやればよろしい。なぜなら彼はそうすることで精神的な満足という見返りに受け取るから。一方自分としては気が進まないが、そうすべきだから、そうするように努める、という考えも存在するが、どこから「そうすべき」という考えが生まれたのかじっく

枝切りで 空が開いた いつもの森 見紛うばかり 一際慄然

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                              ネムノキ開花間近・4日・平磯緑地    穏やかな日々が続く。

戦いは 異国にあっても 揺るぎなし 攻防バランス 常に念頭

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             ハルノノゲシ・平磯緑地・5月    藤井七冠がベトナムで勝利を挙げた。これまでの戦いとは異なり余裕のようなものが漂っており、危なげがなかった。これだけのタイトルを保持するためにはある程度システマチックな対応が必要だと思われるが、どのようになされているのか、報じられることがなく、大いに興味を惹かれる。

羽状葉 日毎に増えて 待ちに待つ ネムノキ開花 ついそこまでに

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            ネムノキ羽状葉・平磯緑地・4日  雨で閉じ込められた後かも。すっきり晴れて繁華街も人で覆われた。昨日見た中で心奪われたのは、バカラの花瓶。クリスタルがキラキラ輝いてどんな花もくらい負けてしまいそう。そのコーナーで一番高価なのがやはり一番良かった。  ということはもっと大きな舞台にはもっといいものがある。  大谷君がメジャーに憧れた理由だろう。  

雨の森 木々の下縫い 駆け巡る 居場所探し 鳥も忙しなく

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オシロイバナ・平磯緑地・有害  オシロイバナは赤い花だとばかり思っていたが、名前は「白」だって。茎などの汁に触れると爛れるかも。  さて先日トンボの写真を撮り続ける人から聞いた話。そのトンボの名前の特定に苦労してるんだって。  この話に少し動揺した。私の場合は樹木の同定(それがないにかの特定)。分からないとどんどん本を買い求めた。そして毎日考え、毎日観察していた。少しの違いを探していた。  学問のスタートだと思った。「classify」。  ある時この楽しみは終わった。あるアプリを導入したのだ。3年間全く分からなかった木の名前が瞬時に判明した。その名は銀梅花。それはそれでいいのだが、それ以来同定する時には、まずアプリを起動。味気なくなったわけ。

共に眺む 今越し来た 海峡 ふと思い浮かぶ 時は止まらず

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               ワタゲガシ・平磯緑地  台風も降雨も当地では大したことはなかった。もちろん被害の出た地域もあり手放しというわけにはいかない。  

じっとして 時期が来るまで 耐え忍ぶ その中にこそ 希望の火燃ゆ

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              タイサンボク・二国沿い・1日  今朝は久しぶりに警報(大雨)が発令されている。雷、突風、大雨が想定されている。心鎮めれば不穏な気が充満している。  何をして備えるべきか。ハイドンじゃない。モーツアルトでもない。ましてベートーベンやチャイコフスキーじゃあり得ない。まあヘンデルだろう。