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2月, 2023の投稿を表示しています

さくら咲く 数え上げれば 十以上 寒気の中に 迸りみつけ +統計

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    昨日までの来訪者は、総計4615名でした。

ポカポカと スケッチ日和 心地よい 端からずっと 描き進めるよ

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  今年の冬は総じて寒かった。昭和の頃の冬のようであった。しかしそれもそろそろ終わりに近づいている。昨日大島桜の咲いているのを、ポルトバザールの入り口付近で見た。今までで一番早かったのは、私の絵日記によれば2月28日だから、1日早くなったことになる。

池端の 風冷たくも 陽暖かく 季節のドア 見えるかのよう

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   今日は明るい日差しに恵まれている。

深夜道 歩いて帰る 数駅分 歩けば眠れる ひたすら想い

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 昨日は王将戦第5局の第一日目だった。藤井竜王の大長考のあとの4五桂は、AIはじめ誰もが予想していなかった手で、当然ながらAIの評価は暴落し35%になった。そのあと羽生九段がこれも大長考に入り、そのあとAI提示通りの手を差したが、第一日目最終的な評価は藤井竜王63%。一手一手で形勢が激変する展開はスリル満点。2日目午前10時15分現在の形勢は、藤井竜王85%。  

雨上がり 森に踏み入る 湿った気 全てを包(くる)み 有無を言わせず

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 有体に言えば、雨が上がった直後森に入ると湿気が居座っている、というわけ。懐かしいようなありがたいような気になる。夏のむさ苦しい湿気とは違うわけです。  

地獄も見た 地震も知った のたうった 寝床入れば 幸せ感じ

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   シェイクスピア作「ジュリアス・シーザー」を読む。最後にシーザーを刺したブルータスは、そのこと故に、「ブルータス。お前もか。」との有名句を遺したが、暗殺後戦いに敗れ死んだ。但し手厚く葬られた。  悲劇なのかな、というのが第一感。  同輩だと思っていた人間が突然王位に着くという気配になる。確かに同輩としては、ありかなーって思う。建前通りなら民主主義はどうなるんだと案ずる。ブルータスらの心情はよく理解できる。  今も昔も民主主義は突然圧政に変貌するから。かのリベラルとして鳴らしたワイマール憲法下で、ナチスは選挙によって政権を奪取した。ヨーロッパ諸国がいまいちドイツを信頼できないのは、再び同じようなことが起こる可能性を排除できないから。ドイツがなんとなくいじけて見えるのは、みんなが抱いている危惧が自らもよく理解できるからだ。  日本も同様だ。突然圧政に変わる可能性がある。あんな借り物の、翻訳されたような用語だらけの憲法がある限りその可能性は一層増す。今の憲法を支持する人は、今の憲法だからこそ圧政を防げると感じている。実は多くの人の思いはそんなに違いはしない。権力の暴虐を防ぎ、民意が着実に国政に反映すること、外的に脅され続けないこと。・・・・・。  目的は同じなのに、方法論が異なる。だから相互に尊敬の念は保ちたい。

湯に浸れば 過ぎし悔悟に 行き及ぶ 心鎮めて 実相迫る

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  朝風呂の習慣ができて23年経つ。朝シャキッとするイメージだ。長年献血をしてきたが、低血圧のため採血できないことが何度かあったほどの低血圧気味だ。だから朝風呂に入ってシャキッとしたいと思ったのかも。実態は、半身浴で新聞を読んだり、読書したり、iPadで検索したり。ところが最近目が不調で、少し休ませたほうがいいのではと思いつき、風呂では極力目を閉じることにした。すると思いが広がるのだ・・・・・・・。

孫の泣く ゲーム狂いの 父を責め 責められぬ像 心刻めよ

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目閉じれば そこに光なく 気揺るがず 時も刻まず 「空」のみあり

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   シーザー最後の言葉は、「ブルータス、お前もか❗️」だそうだが、具体的なシーンが浮かんでこなかった。  まずキャスカが背後から刺し、他の者がめった切りにする。その後ブルータスが襲いかかる。その時シーザーが叫ぶ。「お前もか、ブルータス?それなら、死ね、シーザー❗️」  シェイクスピアによればかくの通り。

折につけ 偏見露に 至りなば 深く顧み 新たに生きる

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                    平磯緑地東展望所より鉢伏山方面を望む・19日  偏見は避けられない。長き人生においてそうであったし、この先短かき人生においても残念ながら然りであろう。そして本筋はそれとの戦いを継続することである。その時々で偏見に陥り、塗れたことがあり、そしてそれを恥じてきた。恥じることは克服の第一歩である。  

寒き風 曇天招き 重苦し 去り人舞いて 別れを寿ぐ

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        カンザキアヤメ・平磯緑地なぎさ池・2月18日        年々歳々来る人もあれば去る人もいる。人はまだそのサイクルが長い。ペットはおおむね短い。犬は10年くらい。猫は15年くらい。悲しい別れが飼い始めた時からカウントされている。近年ペットがますます重きをなしているらしい。昨今の技術革新と重ね合わせると自ずと先が見えてくる。ペットの寿命の長期化だ。病気の克服かもしれないし遺伝子操作かもしれない。  人は悲嘆にくれるもの。ここから逃れられない。

音を立てて 崩れ落ちる 崖のよに 次々隠棲 長き友ばら

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 長年交友のあった医師が経営していた医院を閉院することになった、という。片道1時間半くらい要するので 、正直月に一度通うのがやや億劫になっていた。自らが通えなくなることは想定していても、医院が存在しなくなることは、迂闊ながら想定していなかった。  40年くらいの付き合いになる。数えきれないほどお世話になってきた。

部屋に充つ 雨の香りの 久し振り 悩ましさ帯び 生気纏いて

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  マスクをしている人が少し減ったように感じる。コロナの話をしている人が大幅に減ったように感じる。丸3年間どっぷりと浸っていたのだから当然。思えばコロナの方も手を替え品を替えしてきた。テレビのコメンテーターがいう。亡くなる方は高齢の方や重大な基礎疾患を抱えた方に限られるのがはっきりしてきた。もう安心です。視聴者の中には、高齢の方や重大な基礎疾患を抱えた方はいないかのようだ。それにしてもコロナの次がウクライナ。面妖なことが共通している。

嘘をつき それに親しみ 快感に 虚実の境 今や懐かし

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  いつからか自分に都合の悪いことは、フェイクだと反撃すればそれで済むようになった。本当にこれで済むのだろうか。いつの日にか、これは嘘、これは本当ときっちり区分けしてくれる人が現れるのだろうか。同時代に住んでいてもそれができないのに、後世になってからそれが可能なのだろうか。我々が信じている歴史ももしかしてとっても怪しいものではないのだろうか。最近になってフェイクフェイクが溢れ出したとは到底思えない。あの人のキャラのおかげで、我々はフェイクだと知ることができる。あの人が言っていることはフェイクだから、フェイクを確立することができる。あの人ほどでない人が言ったフェイクは、フェイクと認識されずに通用している可能性がある。それにしてもあの人はわかりやすい人だ。悲しいかな。ただそれだけの人だ。あの人をどうやって褒めてあげたらいいのだろう。あの人を褒めてみようというコンテストは、結構面白いかもしれない。

鴨三羽 一直線に 並びおる 凝らして見るに 鴨もどきブイ

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  今は午前8時だが、外気温は0度だ。冷蔵庫の中より低い、という表現も陳腐になった今冬だった。

精一杯 おのれ相手の 戦いに 目を閉じれば 先真っ暗闇

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  今年は、「寒さ」ってものがあるんだと実感した年となった。地球温暖化のキャンペーンの一方で、地球は氷河期に向かっているという議論があって、残念ながら両者を包摂したイメージはまだ提示されていない。人間がのさばりすぎて、地球の気候まで影響を及ぼすようになったことについて、「神」か何かそこらへんのものが鉄槌を下すというのは、飲み込みやすい錠剤ではある。

ずっと居る 想いのうちに 下目がち 語りかけたい 聴き知りたい

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  今年最後の寒波の襲来かもしれない。ただし関西では雪とはならず雨らしい。陽の出ないどんよりとした1日になりそうだ。昨夜近所に開店した寿司居酒屋と称する店に行ってみた。新装なった店は木の目も鮮やかで照明もすっかり明るくなった。だがメニューはどうだ。茶碗蒸しは驚くほど量が少なく、驚くほど味の凡庸なものだった。鯵の骨煎餅は中途半端な干しで、生臭く売り物かと訝った。客の前でバーナーを使い炙って見せるのがパーフォーマンスと思い込んでいる節があって、幼児っぽさを感じた。

友の為 ベニスの商人 身を形に 機転に救われ 死を免るる 

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 友人の借財の保証人になった主人公。その責を果たせないときには胸の肉1ポンドを差し出すと約束。そしてその責を果たせなくなったとき、果たしてどうなるか。  シェイクスピアの喜劇「ヴェニスの商人」。  今様ならかような約定は公序良俗違反で無効となることになるが、当時そのような法概念はなかったようである。  ではどのような機転がありうるのか?  

祝おうか 1年経った 骨折の日 妻に笑顔 戻り安堵

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  どんなに言い合っても最後には笑顔で「今日は興奮しちゃった。ごめん。ごめん。」と言って場を収めていた人から、最後の言葉が消えて、本当に怒ったまま帰るようになったら、認知症の第一歩と主治医が話していた。認知症とは、物事への関心が欠如すること。言い争った人との今後への配慮もなくなれば、あとはその場の感情だけということになろうか。

雨の日 哀しからずや 濡れるだけ 積もりもしない 押し潰しも

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  大雨だと森の猫たちはどこで時を過ごしているのか案じられる。ベンチの下、トイレの中・・・・。  

ふと過る 回帰したいと しみじみと 故郷想い 湧き出るように

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    そのものを表現するときに適した言葉がないというのは、実は結構あることである。「そのもの」が多様であって、一介の言葉では対応きれないときなどがその例である。

どんよりと 曇った日こそ 隠された 温和さ感じ 懐かしむかな

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鴨潜る 残る水紋 凹みたる 次から次に 餌に真っしぐら

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  自宅から須磨浦公園まで歩いた。約5キロ。そこにすっきりしたカフェがあり、そこでシナモンアップルミルクティを「食し」た。モンブランを目指したが、季節柄もうなかった。5キロはどうということはないのだが、途中の二国がいけない。歩くのに向いていない。   

語りたい 立ち入れなかった 未開の地 甘えに克って 傷を恐れず

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  生まれたての孫を初めてオンラインで見た。この子が二十歳になるころには、私は・・・と考えると、まさにこれは歴史だなー。  そばにいたもう一人の孫のランドセルを買う話になった。あんな重いものやめて軽いリュックの方がいいと例年のように言ったが、例年のように軽く却下された。すでに横並びバイアスが強烈にかかっている。

夢に見た 夜汽車に揺られ ふたり旅 いつまでも続く 真っ直ぐレール

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   寒さにも慣れてきたかと思えば、あちこちに春の兆しの見えるこの頃です。

久し振り 駆けて爽快 違う世界 障りのお陰 いつも思えれば

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   「過客」という言葉がふと浮かんで調べ始めた。「カカク」って読むんだね。こんなことも知らなかった。まあすぐ芭蕉に行き着くのだが、ふと本屋に寄ったら「おくのほそ道」が目に止まり、これも何かの縁と買った。  第一行目から詰まった。「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。」過客も旅人も同じような意味であろう。「年も」の「も」がそれを表している。「月日」が旅人なら、「年」も旅人だろう。だからなんなの?時の経過は旅のようなものってこと?

世のものは 須くして 鏡なり あざとさ写し 手前勝手さも

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  シェイクスピア作「オセロー」。  将軍オセロー、妻デスデモーナ、副官キャシオーそして妻までも、誠実無比と称えるイアーゴー。この男が奸計を弄して、オセローとデスデモーナを破滅に陥れる。  こんな設定がありうるか。とってもじゃないが理解し難い。周りの男女、そして妻までも騙し通せるとは❗️  脚本のほとんどがこの悪漢の登場というのだから、不愉快極まりない。可哀想なのが間抜けなムーア人のオセロー。いいところが微塵もない。  こんな作品も言い方に工夫すれば名作になるのか?

あの頃は 無為の日々に 飽き飽きし 実社会に エイッジャンプ

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