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3月, 2022の投稿を表示しています

森の雨 一人分入れば 匂い立つ 静寂(しじま)と生気 何かを探すな

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                    レンギョウ  平磯緑地に入った時には雨は止んでいたが、出る頃には結構降っており、すっかり濡れてしまった。それにしても雨の森は趣ある。その気がなくてもその気になってしまいそう。  緑地の入り口で神戸市長に会った。お互いマスクをしているのだが、丁寧な対応が感得できた。知人の親戚ということでその知人との間では何回か話題になった人物だ。想像するに完成なった垂水体育館そして図書館建築用地を視察されに来られたと思われる。

花の中 鶯3分 今年又 春先始まる 猛練習

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  ヒットした「300」の続編「300帝国の進撃」を観た。自由を標榜するアテナイを主力とするギリシャ軍に対して、力でねじ伏せようとする残忍非道なペルシャ。圧倒的な兵力差がある。その差は約100倍。現今のヨーロッパ状況を彷彿とさせる。  小さな船のギリシャに対してペルシャは大艦を用意する。漕ぎ手も筋肉もりもりの奴隷たち(奴隷もいいもの食べれるんだ‼︎)。鞭がビュンビュン飛び、血飛沫が跳ねる。死ぬ気になって漕がないと文字通り殺される。何度もその漕ぐシーンが映される。  終盤ではたと気がついた。ギリシャ戦の動力は何だ。映像からは人力以外考えられない。そしてその映像は一切ない。ギリシャ軍の動力については一切触れられない。  不都合な真実なのだろう。後で調べたらアテナイにも奴隷制が存在した。娯楽作品だから善悪を明瞭にしたかった?  前回観た時には気づかなかった。

一冬の 難儀を思い 桜愛で あっという間に 宴はオーバー

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    アメリカの人生相談。  妻がウクライナ出身の男性。妻は昼の仕事が終わると同胞たちとウクライナ情報を共有するため最新のニュースを翻訳ばかりしている。ほとんど眠らず、食事をあまり摂っていない。最近は些細なことでカッとなり、いつも怒っている。妻をどうやって休ませればいいのでしょう。  答えるのは小説家。  彼女を休ませるのは無理。今彼女は求められること、自分にやれることは何でもやる必要がある。夫としては愛情を持って見守ること。たとえ犠牲を伴っても。                            (Newsweek最新号)

草の道 タンポポ横目 走り抜け 松ぼっくり まじトーキック

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   孫には常日頃教えている。球技は、野球もゴルフもサッカーも全て、ヘッドアップしないこと。最後の最後まで目を離しちゃいかん。それでも松ぼっくりのトーキックは結構難しい。  なぎさ池の入り口付近で懐かしい花を見つけた。爽やかさで嬉しくなる花だ。  ダイコンの花である。

今年又 白き花咲き 風なびく 華なき花の コブシたおやか

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ユキヤナギ  

幼児の 覚束なき 足取り たまに転びて 背に桜花舞い

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 ソメイヨシノはまだにしろオオシマザクラは咲き出した。   コブシも咲き出した。              

水面下(みなもした) 鴨が必死に 水を掻く 少し冷たい 川辺の和風

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    「キャッチ」という番組があり、そのファンなのだが、その中でニューヨーク在住の日本語(関西弁)堪能なジャーナリストから、ウクライナに物資を送るボランテイアに関する報道がなされた。毎日10時間以上休みなしに物資の運搬業務に従事している男性や時には老人を見ると、涙が止まらない、とボランテイアのリーダーが語っていた。   東京のN局の女性アナウンサーが、原稿に載っていないアドリブかのように、あっけらかんと関西弁ジャーナリストに、「現地で何か困っていることがありますか。」と爽やかに聞いた。   ジャーナリストは一瞬動きをやめた。時が止まった。私も固まった。  何千キロも離れてはいたが、二人は多分同じことを言葉を出さずに言った。「この十数分間のボランテイアリーダーの話を聞いていなかったのか‼︎」   この女性アナは、ボランテイアリーダーの気持ちになって考える何の想像力もなく、今の世の中でトップレベルの問題についての何の意識もなく、自分では気を効かして聞いたことは明らかだった。視聴者に誉められると考えていたかもしれない。   毎日10時間以上働いているのは人手が足りないからだろう。まさか自らを鍛える荒行をやっているとでも思っていたのか。一方連日連夜報道される彼の地の凄まじい破壊状況からすれば、必要な物資はありとあらゆる領域に及びその量も想像すらできない。いくら送っても十分ということは少なくとも当面はないだろう。   人出も、物資も、資金も足りないことは、報道から見て火を見るより明らかだ。情報の上っ面だけを追って、想像力を働かせないから、あっと息を呑むような質問をするのだ。    スノーフレーク(鈴蘭水仙)

毎日を 早く過ぎよと 暮らしてる 何処に行くのか あてもないのに

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    あっという間に1日が終わったと言うのは、忙しかった、充実していたと言うことを表しているみたい。一方時の流れがゆっくりすぎると言うのは、面白くない、実りがないと言うことを連想するみたい。と一般に言われている。。  でもどうだろう。誰にでも一度くらいはあったであろう、あっという間に過ぎ去った日々というのは、本当のところどうなのだろう。本当に充実していたのだろうか。今つらつら思えば、つかみどころのないフワフワした、実態を感じない虚構のような日々ではなかったか。そう感じるのは、あまりにも長い時間が経過したからというわけではなく、過去に経験したことを再び経験するかのような感覚は、初めての時には感じないのではという発想に基づくのです。  ところで年寄りはただ死ぬだけだ、と言い放った若者がいて、自分に対して発せられたものでないにしろ、それは違うだろう、死ぬのは年寄りだけではなくみんなそうなのだと考えた時、自分が一体何処に位置するのか意識がなかった。つまり若者なのか、中年なのか、年寄りなのか。それらの枠組みを超えたところに存在していた。  時間があって、自分は年寄りなんだと改めて認識をして、考えてみたら、出てきたのは、死ぬのはお前もだろう、と言う言葉だった。  一般論でお茶を濁すような反論ではなく、俄然当事者意識を鮮明にした、戦闘的な反論となった。     年寄りは 死ぬだけなんて 戯け者 死ぬだけなら お前らもそう

連夜聴く 中島みゆき 同じトーン 同じ心情 負の再生産

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      中島みゆきご本人が歌っているより、研ナオコが歌っている方が好みだ。今回研さんがすごい数の楽曲を中島さんから提供されていることを知って、ご本人もきっと同じようなことを思っているのではないかと頭をよぎった。研さんの歌い方の方がさっぱりしていて、ドロドロした曲の多い中島作品には合うのだろうが、最近テレビで見た研さんの歌は、どこか元気がなく、迫力がない。案じられる。  

雨明けの 静寂森覆う 微かな 虫の佇まい お出まし鳥たち

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「座りたい」 叫ぶ子供を しかとして 話し続ける 車内気まずい

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 座って話し続ける若者二人。入り口付近の引き下ろし式のベンチ風座席。その前に乳母車に赤ちゃんを乗せ、母親が手を持った幼児一人。子供がこんなことを叫べば、我慢しなさいとかなんとか言って、抑えるのが母親かと思いきや、一切制御せず、二人の若者の為さりようを見定めんとするかのような感じ。  叫ばれる前に、幼児や老人の姿を見たらさっさと席を譲ってしまうのが鬱陶しくなくていいと思うのだが、如何せん近頃の若者には先を見通す目がない。ずるずると状況に押し込まれ、結局採用した策が、さしておもしろそうに見えない友人との会話を続けることだった。  子供はぐずり続ける。他の誰かが気を効かして、坊やここにお座り、とやられた日には最悪の状況になりかねないのに、それを回避する策を講じるわけでもなく、ただ単に時間の経過に運命を委ねる考えとみた。  その時の母親の顔なんぞ見たかったが、私の場所からは見ることができない。従前だと子供がわがままを言って周りの皆さんにご迷惑をかけた、としおらしく申し訳なさげを装うのが旧来の道徳手本だったが、近頃はそうでもないかもしれない。  その母親はどう考えたろうか。子供が座りたいと思うのは至極当たり前のことで、それを親がどうのこうのいうことではない。謝ったり恥ずかしがったりする筋合いではない。子供がかわいそうだと思う方がいれば、席を譲ってくれればいいし、子供は立ってた方が鍛えられて好ましいと思う向きは、子供の言うことなんか無視すればいい。  大半の思惑は、譲ってやってもいいが時期を逸してしまったので、譲るのはやめだ、くらいだろう。   中学以降ほとんど車内では座らない。座っていても立っている人がいると席を譲る。中学高校の教えだった。席を譲ることにほとんどストレスを感じない。

ワクチンの 副反応より 気にならず 他国を襲う ミサイル乱舞

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                        ロ軍の所業が心胆を寒からしめている。小学校や病院をミサイルで狙い撃ち。核兵器の使用を匂わせる。生物兵器や化学兵器の使用を想定している。後者については、アメリカやウクライナがそれらの兵器を使おうとしていると喧伝しているのが根拠となる。相手が使おうとしているから先手を打って使ったという口実作りだと言われている。まあいつもの手な訳。  ところで、なぜ、今の世の中でこんな非人道的なことが起きるのだ?と思っている人は結構多い。しかし、いくら盛りの報道番組を見てもこの種の疑問には答えてくれない。  国家は道徳に縛られない。国家に道徳はなく、あるのは結果だけなのだ。(マキャベリ・君主論 君主は生き残るためであれば、悪徳を行使する能力を身につけ、これを臨機応変に行使する必要がある。)  通常兵器では勝ち目がないので、あるいは想定した結果を得られないので、化学兵器を生物兵器を使うのが合理的、と考える。しかし国民はそれについていけない。なぜなら人間だからだ。だからその彼らのために、先に相手が使いそうだったから、止むを得ず先手を打たざるを得なかったのだというストーリーを用意するわけだ。国民は一生懸命それを信じようとする。  古典的な使い方は、侵略する際、自国民の若い女性が敵国の男たちに襲われて殺されたというストーリーを喧伝することだとされる。ナチスドイツの所業が思い出される。  さて最近一番の問題だと思うのは、このフェイクストーリーについて、国民は本当に信じきっているのかという、疑問だ。ヒントとしては、ストーリーは欲せられているからこそストーリーたりうる、という指摘がある。(この点は後日に譲ろう。)  最後にマキャベリに戻ろう。国家は道徳から自由で、結果だけに拘束される。ところが一般に国民は、時に道徳を持ち出したり、時に情に流されたり、時に経済効率だけを考えたり、まあよく言えば融通無碍、ある意味矛盾に満ちすぎている。  つまりそんな感覚が、本来国家の感覚と一致するわけがない。  報道番組は地政学視点で成り立っている、そんな場で情緒的な問題を取り上げても、ものの5分で終わってしまう。取り上げても意味のない議題だということになる。

ウナ・セラ・ディ 情熱の花 突き抜けて ハモるハモる 天まで届く

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   ザ・ピーナッツの曲は、詞や曲より、ズバリ歌唱力が売り。ハモる曲としては、ウナ・セラ・ディ東京や情熱の花が秀逸だ。詞自体はほとんど問題にならない。作詞家もその辺りは心得ていて変に何かを織り込もうとしない。いつ聞いても最初聞いた時のようなドキドキ感を味わうことができる。  ちなみに輪唱曲としては、恋のフーガだ。これなんぞ歌い手のご当人たちがすっかり楽しんでいて、客なんどどこにいるかっていう風だ。芸事としては、ご同慶の至り。

会社辞め 行き先変える 冒険も やってしまえば ただそれだけだ

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   一旦勤めた会社を辞めて他の世界に生きるというのが冒険だと目された時代は、半世紀前かもしれない。今となっては、行き先を変えるのは日常に組み込まれているのかもしれない。  

あと10日 予想するのも 春恒例 待っては咲いて そして去りゆく

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  一足先にユキヤナギ        

ミズアンヌ 君を見るたび 見比べる エヌ局アナの 没個性振り

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    日本でも諸外国のテレビのニュース番組を見ることができる。図らずもキャスターたちを見比べる機会となる。怖い感じの人や切れ者風の雰囲気を漂わす人が多い中で、フランス2(フランスドゥ。テレビ局)のアンヌ・ソフィー・ラピはシンプルな服装の自然体で、日本の芸能人と見間違うような女性アナと一線を画している。お化粧に要する時間が長いために、記事の内容を読み込めないまま、辿々しく原稿だけを読むのと違い、アンヌは語りかけるように画面から伝えてくる。

汗かけば 心穏やか 取り敢えず 今日も機能 動き始めた

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 知っている中で一番複雑で精密なのは人体だと思う。毎日摂取カロリーを記録しているが、それだけでも結構大変。それなのに人体は食物からカロリーを引き出し、ビタミンをはじめ数えきれないほどの数の栄養素を抽出している。そしてそれらを使って、人体を構成し、活動させている。超精密機械だ。それに比べたら自動車や飛行機さえ粗雑なおもちゃみたいなもの。その自動車だってエンジンがかからない時があるし、スピードが出ない時がある。まあ調子の悪い時だ。だから人体も調子が悪くなって当たり前だ。  だから一旦休んで次に動かすときには細心の注意を払っている。起きたとき、一時間半身浴で体を温め、次また一時間ランニングで体をほぐす。足腰や心肺機能のためではない。  人は半分が癌に罹患するという。その計算があっているのかいないのかには興味がない。その表現には若干の違和感がある。  人体の細胞は一定期間ごとに生まれ変わっている。そのときに転写ミスが起こりそれが癌細胞らしい。(ほとんど生まれ変わることがない心臓には癌は生じない。だから心臓癌は聞かない。)生まれ変わるのが多くなるというのは歳行けば計算上そうなる。一定の確率で転写ミスが起こるので、歳いけば、癌細胞発生の確率も当然上がる。  と言われている。  でもイメージは少し異なる。人体に毎日一定数のがん細胞が生じている。数多くの転写を行なっているのでこれは仕方がない。ただそれを人体の免疫細胞が撃退している。免疫細胞が万全ならば、生命が脅かされない。  ところが体調不良で免疫細胞の活動が鈍ることがありうる。そのとき癌細胞は増長する。 体温を上げ、機能を保全する。これ以外にはない。

終日を 暖房なしに 過ごしおる 一山超えて 仰ぎ見る先

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   2、3日前のことだが、ロシア軍が北方領土付近で活動を盛んにしているという報道があり、その意味を問われた専門家と称されていた人物が、ウクライナだけではなくここでも頑張ってるということじゃないですかね、と答えていたのには、思わず失苦笑を禁じ得なかった。  アメリカはウクライナに出兵せず、頑張れ頑張れという声援と幾許かのご祝儀を出して事足れりとするかのようであり、他の国々もこれ幸いと追随の構えである。  我が国はといえば、憲法上の制約もあり、同様の仕儀となること火を見るより明らかである。  ところで古典的地政学においては、ウクライナに出兵をなさず、支援は可能である。大きな国はそれが仇となる。他所で戦端を開けばいいのだ。例えば、日本が北方領土を奪還するために戦端を開くということだ。  もちろん今の日本にそんなことを考えている人はいない。  ところが世界中で一つの組織だけがそれを想定して防御のための活動をしたわけだ。  彼らが日本と同じ立場なら、相手が他所で手を取られている隙に、理屈はともかく攻め込んでいたろう。  日本もそうする可能性があると踏んで、出張ってきたというわけだ。人は自分を基準にして相手の行動を考える。  彼らの思考方法を知るいい機会となった。

暴虐 目の当たりにし 湧き出ずる 嫌悪と怒り せめて一撃

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   連日連夜報じられるかの国の状況。次はどの都市が危ないとか、原子力発電所が占拠されたら核攻撃と同一の効果があるとか、戦車は側面は強いが頭部が弱いとか、あたかも戦争ゲームのように、それなりの評論家は述べる。いかに戦術論や地政学を熟知した者がゲーム作成に関わったかを示している。  それはさておき、こんなことは許せないとか、非人道的だとかの議論を全く見ないのは、ふと思えば寂しいような、こんな場で言わないだけでみんな本心では思っているんだなどと自らを納得させているような、そんなことを言い出したら2時間番組も数分で終わってしまうから、などと思いは定まらない。  こんな時昔は義勇軍が組織されたなーと思っていたら、日本でも手を上げた人が50人以上。政府・自民党とも赴くことに反対している。最も過激かなと思われていた議員まで、反対し、その理由たるや「言っても言葉が通じない」。  違う。  親は家族は反対。国も余計な面倒を受けるから反対。切迫感がない。   

春暖 巡り来て今 川添いの 人そぞろ行く ティシャツ姿

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   展覧会の帰り夙川沿いを北上し阪急線に向かった。伸びやかに寛ぐ人々がまるで湧いて出てきたようだ。            

リハビリに 励む妻とも 会えぬ時世 どんな場面でも コロナのさばる

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  現在病院は一切面会禁止のようだ。患者は一般的に免疫力が低下しており、よく言われている基礎疾患を患っている者でもある、しかもほぼ集団生活を送っている、とも言える。  面会禁止はやむを得ない然るべき措置です。  そこで面会の代わりに登場するのがリモートだ。気の利いた人は各自で工夫している。  不得手な人はわざわざ病院まで足を運んで、待合室か何かで、タブレット越しの面会となる。言わずもがなで、ほとんど老人だ。大きな声で喧嘩でもしているのかと見たら、リモート面会中だったということがよくあった。  ほとんど人気のない待合室で、一人で大声を張り上げている姿は、ちょっと切ない。

朝浸って タブレット読み 汗滴る 小一時間は あっという間に

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 「こ」のつく名詞を集め始めたら、あっという間に60以上になった。一部紹介すると、あいうえお順で、最初は「小上がり」最後は「小分け」。多いのはさ行の14で、例えば「小賢しい」次があ行の12で、例えば「小うるさい」そして「小一時間」。                                                          

些細なこと 希望を持ったり 嘆いたり 繰り返しても また繰り返す

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今年又 サクラが咲いた 前向きの気 鬱陶しい中 フツフツと沸く

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   3月8日オオシマザクラ咲きました。神戸市垂水区マリンピア神戸北入口。例年咲くのが一番早い木です。知る限りの記憶では2月末日に咲いたことがあります。    

弱い人 ストーリーなけりゃ 生き抜けない 知る悪い奴 気侭に作る+ご報告

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   ご報告   1、2ヶ月目の延べ閲覧者数は、290名でした。累計は840名。   2、問題点のうち、現時点でもブログ名での検索はできません。   3、URLの問題は勘違いで、アドレスバーで検索すれば問題がありませんでした。                                      以上              

家中の カーテン洗い 5時間 20年来の お約束なり

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   現住居に入居したのが2000年。その時に家中のカーテンを誂えた。業者の言うには、「年に数回は洗濯してください。」と。  その約束を守って、夏、冬、春の学校の休みごとに洗濯を繰り返してきた。合計60回以上になろうか。その甲斐あってか、今も十分に効能は果たしている。ややレースのカーテンが弱含みではあるが、本体の方は十分に気品を保っている。                   

ポカポカと スケッチ日和 心地よい 端からずっと 描き進めるよ

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          スケッチの描き方としては、一般的には、全体の構図を大まかに定め、順次細部を描き込む、となるらしい。  一方気になるところから描き始めると、全体が歪になったり、調子の悪いものになったりすることが多い。  「歪でもいいや」と心定めてしまうと、これはこれで気楽なものとなる。  好きで描いてるんだから、好きなものだけ描くというのが、よろしんじゃないかと。

池端の 風冷たくも 陽暖かく 季節のドア 見えるかのよう

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ならず者 徒党を組みて 殺戮す 恐怖政治に いつも言葉なし

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                          カンサキアヤメ 平磯緑地なぎさ池

歩き出す 春雨の下 曇天が 何故か似合って 包まれるよう

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   雨が降っているのにあえて歩き出したわけではない。歩かなければいけない時に雨がたまたま降り出しただけだる。  あることを思い出した。高校生の時だ。山登りが好きで、最終的には西穂で亡くなった友人が、こんなことを言った。「〇〇(別の友人の名前)曇りの日が好きなんだって。変なやつだなー」いつも的外れの話の多いえ友人だったから、その時完全にスルーしたのだが、本心は、別に曇りの日が好きだっていいじゃないか、だった。  それにしても久しぶりの雨は懐かしく愛おしい。                   

部屋に充つ 雨の香りの 久しぶり 悩ましさ帯び 生気纏て

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   久しぶりに雨が降った。孫の野球練習が中止になった。  一日中降った雨は、大いにその香りを撒き散らした。冷たさの遠のきは、次の季節をしっかりと実感させる。  月替わりと同時に季節のステージも一挙に切り替わった。