投稿

7月, 2023の投稿を表示しています

木漏れ日の マダラ模様が 蠱惑的 アスファルト背に 醸す幻 + 統計

イメージ
 昨日までの総来訪者数は5834人でした。  

蝉声の 勢いに先ず 気圧されて 聞き馴染むうち ピュア拡がる

イメージ
 ここのところの大音響をお伝えできないのが残念だ。 つまるところお伝えしたいものとは、光であり、風であり、音であろう。  

思考奪う 猛暑の怒り 止め処なく それでも微か 平穏の兆し

イメージ
              サルスベリ・29日・平磯緑地    とても暑いですねとメールで挨拶したら、そんなもんじゃない、危険な暑さだと、抗議混じりの返信メールがやってきた。常套句が通じない事態のようだ。  アマゾンの「アレクサ」を導入したら、それまで作品単位で楽しんでいたクラシックが作曲家単位になった。モーツアルトのピアノコンチェルト20番をお願いとリクエストするときっと有料だが、モーツアルトのピアノ曲をお願いというと、多少的はボケるが、無料ということになっている。  この結果気づいたことが色々ある。まあ一つは作曲家の個性が際立つようになったこと。二つ目は、聴くという気持ちが薄れ、イージーリスニングあるいはバックミュジック風になってくること。こうなるとWifiの具合さえ良ければ10時間続けてだって鳴っている。

ピアノNo1  チャイコフスキー  泣きながら  日々聴いた夏  さっと去る夏

イメージ
       20代初めのヨーロッパ旅行はことのほか印象的だった。国と国の関係も斬新であったし、すぐに越えられることを実感した。そして何より過ぎゆく時の捕まえようのない切なさにひどく囚われた。パリを目指したが共感したのはむしろモスクワだったのは予想だにしないことだった。パリを見る目線が同じだった。  

暑さには 一切触れない 触れれば つい思い出し もうほれ汗が

イメージ
 勇気を与えるとかもらったとかいう表現はしっくりこないが、藤井君や大谷君の躍動ぶりを目の当たりにすると自然と生きる意欲が湧き上がってくるのがわかる。  自閉症のメカニズムにあるホルモンの存在が関係しているという記事を先ほど読んだところだが、きっと両君の活躍ぶりでホルモン量に変化のあった人が多かろう。  こうなると先行き悪いことが起こらないように案じてしまうが、多分御本人たちの心情は異なっていることだろう。やり切るたびに脱皮していくように日々自らを更新し、運の要素を感じていないのだろう。  大谷君にイチローに感じた他人行儀さはなく、藤井君に羽生さんに感じた冷徹さはない。これからどんなイメージを残してくれるのか、想像が難しい。  

勝ち続け 先に在るもの 臨めるか 栄華の極み 枯れ野の佇み

イメージ
   藤井7冠がまた勝利した。日本中の勝利の渇望はもはや敗北を許さない。当たり前のように勝利を眺め、喜びは常態となる。  ところで将棋界は年功序列の世界だ。昇段の基本は勝ち数。負け数は関係ない。次の戦いは将棋界との間に勃発する。

我もまた 世人と違わず 小器用に 流れに沿いて 時に顔上ぐ

イメージ
               ネムノキ・23日・平磯緑地  蒸してしかも高温の日が続く。久しぶりに外出する気が失せ、ソファに座ってうたた寝を繰り返した。このソファは眠りを誘う不可思議なソファだ。ある時神戸刑務所作品展でソファを買った。ただ気持ちの上で釈然とせず、その足で湊川の家具店に赴いた。この時一眼で今のソファを気に入った。それから2度張り替え修理を行った。今も眠り効能は失われていない。  

束の間の 見栄を切りすぎ 悶え死に 長き地中経て 鳴きまくった日々

イメージ
    ここのところ結構な高温が続いている。大雨で騒がしかった後だけに、スッキリ晴れ渡るという印象よりむしろ湿った重苦しい暑さという感じ。その重苦しさの一端には若干コロナがかんでいるかも。  さて他地方では大水被害が報じられ続けているが、当地でいえばほとんど降雨らしきものはないといった印象だ。ここらあたりで降ってくれると生き返る向きも少なくはない。  ところで蝉は地中で長く生き、地上に出てからは「あっという間」に死んでしまうと言われている。この「あっという間」は7日間だとなんとなく思い込んでいたのだが、中学生の皆さんの地道な観察のおかげで、それは1ヶ月程度だということがわかった。    

今日もまた 戦い続けど 蝉は鳴き 鳥は啄み そして風流る

イメージ
   人の営みとは別に自然の営みは無関係に進行している、かもしれない。  昨夜紅海の海底探査のドキュメント番組を見た。そのそこには塩分濃度の濃い海水域があり、そしてそこは酸素のない世界らしい。そこに生物がいたらそれは我々生物の根源的な生物かもしれない。  そのストーリーはざっとこんなものだ。  ①地球が生まれた頃そこは酸素のない世界であり、最初に生まれた生物は酸素を必要としな  い、むしろ酸素があれば死ぬ運命にある生物であった。  ②その後地球では光合成が盛んになり、酸素割合がどんどん増えてくるようになった。生物  は酸素に適合するように変化を遂げる一方、適合できない生物は死滅した。  ③死滅を免れた一部は紅海の底の酸素のない世界に逃げ込み現在に至っている。  つまり酸素のない世界に生まれた我々生物の根源的な生物が紅海の底にいるかもしれない。

炎天下 森の中歩く 静寂が 蠢(うごめ)いている ジーンと底から

イメージ
        炎天下出歩くべきではないが、出てみれば出てみただけの価値はある。例えば写真左下の葉だが、なんとも怪しげ、艶かしい。

サルスベリ 滑らず止まって ひと鳴きす 少し揺れるが 見よ蝉の一途

イメージ
                  煌めく緑・21日    蝉の鳴き始めのこの頃、注意して見ているのが蝉の止まっている木の種類だ。最盛期になると木の種類に構っておれなくてなって、木であればなんでもいいという状況になる。  止まっている高さも同様だ。出始めはとてつもなく高いところで鳴き、居場所の特定はとても難しい。そしてところが最盛期だ。空いてればどこでもいい状態になる。  さて木の件だが、桜系は少ないように思われる。オオシマザクラ、ヤマザクラなどだ。もちろん松系も好まれないだろう。樹皮がゴツすぎるからか。サルスベリもやはり好まれない。止まりにくいからか。櫨系も止まるには枝が細すぎ。  やっぱり楡系や檜系は雰囲気ぴったりかな。

ボール投げ 追い付く犬 誇らしげ もっともっとと 暑さに負けず

イメージ
                  18日・平磯緑地    蒸し暑さも落ち着いてきた。朝夕は凌ぎやすく日中はぎらつく。長女がコロナ発病して孫二人を隔離目的で預かったが、翌朝検温したら二人とも37度を超えていた。これでは学校も保育園も行けない。隔離目的を果たせないまま孫を家に送る。あとは我が身の発症の有無だけが関心ごとに。やれやれ。

せっつかす ジンジンの声 けたたまし 生き急ぐを 騒ぎ立てるなよ

イメージ
  蝉の喧騒は心落ち着かせる。その音自体が快であろうと不快であろうと長年聞き慣れたという事実は、長年生き永らえてきた証左そのものである。その音は暑さそのもののシンボルであるやも知れず、はたまたもしかしたら貧しさを思い忍ばせるものかもしれない。悔いの残る人生であれ、誰もに見せびらかせたい人生であれ、あの暑さは事実存在したし、まとわりつくような焦燥に辟易したのも稀なことではない。

蝉の声 ホッとして聞き 改めて 天変地変 頭の隅に

イメージ
   「失われた時を求めて2」    とても気に入っているスワン。その結婚が見込まれるオデット。    「オデットを純粋に肉体的な観点から見ると、顔や肉体はおろか全体としての美しさ    にもたえず新たな疑念が頭をもたげ、スワンの恋心は衰えるばかりだったが、そのよう    な観点の代わりに確かな美学の教えるところを根拠にすると、そんな疑念も雲散霧消    し、恋心は揺るぎないものになった。」    容色ではなく、「気持ち」だというのかと思ったら、いや違う「美学」だという。

つばくろが トンボの中を 交差する 梅雨明け虫の 穴から這い出し

イメージ
 燕が軒下に潜り込む。巣でもあるのだろうと覗き込むと、そこにあったのはドギマギしている燕の姿。巣を見間違うことがあるのだろうかと思うが、人様だってうっかりすることは珍しくもない。「失われた時を求めて」第1巻は、とてつもなく鬱陶しくて大いに閉口したが、第2巻はすっかり様相が変わった。主に取り上げられているスワンにはとても親近感を感じた次第。  

鳴き始め 蝉の存在 思い出し 梅雨が行って スウィッチ入り

イメージ
              サルスベリ・16日・平磯緑地    梅雨が明けたのか明けてないのかは定かには知らない。でも昨日の日差しは夏の日差しでアッった。平磯緑地も明石城公園も。  セミも去ったと思ったのだろう。一斉に鳴き出し始めた印象だ。ガラッとステージ上の背景が変わった。

梅雨の明け 息つく間なく ぶり返す 雨の日続く 更に鬱陶し

イメージ
     日本のどこかで大雨が降り止まない。そんな生半可な状況がずっと続いている。

返りない 絵葉書送る 月初め 戻らないのが 生きてる証

イメージ
               中央が飯豊山頂上  友人に毎月絵葉書を送っていた。友人に精神的にも肉体的にも返信を出す能力は無くなっていた。コロナ禍で一才の面会は禁じられた。電話すると、絵葉書の送り主と知っていて、それなりの応対はしてくれる。暗に生きていれば絵葉書は受領し、亡くなれば返送されるとメカニズムを伝えてくる。  たまたま別の友人の面会時絵葉書が送達され、彼の表情が輝いた、と後日伝えられたことがかなり以前にあった。  今はもう絵葉書も出せない。  

器用でない 自然さに覗く 非情さよ 恨みの筋と 自らの筋

イメージ
  高校時代の後輩としばし語らう。絡み合わない世界に今更ながら驚く。  

マンション 年々歳々 老いてゆく 会話も途絶え 関心薄れ

イメージ
             今年初のムクゲ・13日・平磯緑地  コロナウイルスは相変わらず元気なようだ。身近に迫ってきている。元気な人は風邪のように扱っている。  

あの頃は いろんなことの あり過ぎて 整理できぬまま 次の舞台に

イメージ
                ヒメキンシバイ・9日・平磯緑地   昨日はかんかん照りだった。日差しがキツく感じた。信号待ちする時もつい日影を探してしまう。いよいよ夏の到来を思わせる。

会う場面 想像できぬ 謝るか それとも逆か 時がぼやかす

イメージ
                      ハブランサス・ロブスタス・10日・平磯緑地  淡路島が霧で見えない日が続くが、雨はそれほどではない。ただ湿気がすごい。  

ありのまま 明日にはきっと 詠んでみる 閉じ込められた 昨日の私

イメージ
                 9日・平磯緑地  近頃蝶々を見ることが少なくなった。たまに見ると動きが素早いのに驚かされる。大雨の報に森に出てくる人もごくまばら。周りに人がいないと安心。時が進んでいく。 

友がいない うったえる叔父 憔悴す わけは分かれど 何を今更

イメージ
              モミジバフウ・8日・平磯緑地    カメラのことで友人と言い争ったことがある。スマホはカメラでもあるっていうと、俺は一眼レフでしか写さないと。ランニングしている時重いカメラを持っていけるか、移動する時手元にカメラがあるか? 心覚えで移しておきたい時もあるでしょう。  まあ結局物別れに終わったけれど、当方は今や一眼レフはなく、デジカメもなく、あるのはスマホだけとなった。

思い馳せ 手前勝手に 描きける 二人で手繋ぎ 歩くレンガ道

イメージ
               モミジバフウ・7日・平磯緑地  また西は大雨が襲来してくるらしい。

狙撃あり 想いを込めた 銃弾の 切り裂く先に 立ち込める闇

イメージ
             ナンキンハゼ・5日・平磯緑地    昨日は5時間ほど友人宅で過ごした。彼はよく喋りよく飲んだ。ラフロイグがお気に入りだ。外に出なくなって4年が過ぎた。早いものだ。そのうち80になるだろう。

各々が 勝手に描く 死のイメージ 見聞きしたもの 古今なければ

イメージ
                ギンバイカ・5日・平磯緑地東端    毎日「アレクサ」でショパンやモーツアルト、ベートーベンのピアノ曲を聴いているが、ショパンの曲がかかると、男性の細身のピアニストが曲に身を委ねながら憑依したように演奏しているのが頭に浮かんで、ちょっとうざい。モーツアルトやベートーベンの曲ではあり得ない。まあ通常演奏者は目立たない。

そのうちに 夫婦歩く道 1人となり 1人の良さ しみじみ探す

イメージ
  散策していると夫婦ずれと思しき二人連れをよく見かける。ほとんど男性が前を女性が後ろを歩く。事故にでも遭遇しない限り2人が時を同じくして、散策できない状況に陥ることはない。2人で歩いた道を1人で歩くことになる。  2人は2人の1人は1人の時の楽しみ方がある。こんな自明の理も体得は思ったほど簡単とは言えない。

むしゃくしゃ 石投げ虐め 終わると 近づく犬 癒しペロペロ

イメージ
    隣地が再開発中だ。その昔大きな市場があった。そこに鯨肉専門店があった。昭和の匂いがする。そこに毎週自転車に乗って鯨肉のブロックを買いに通った。飼い犬の食事用だ。帰り道は坂道を歩いて登ることになる。 鯨肉を細切れにして鍋で煮る。それに醤油などで味付けをして、その後ご飯を入れて炊く。飼い犬の前に置いて覚ます。温かいものを食べさせると人を噛むと言われていた。「待て」と命じる。  命じておいてその場を離れるのが格好いいのだが、どうも一つ信じきれない。そこで共に冷めるのを待つことになる。涎を垂らし始める。  こんなことをずっとやっていた。

何気なく 思い至れば 時の刻み 至らず過した 時を惜しみて

イメージ
 

西の辺は 大雨なりと 報じられ 被災の姿 また繰り返さる

イメージ
           トウネズミモチ・平磯緑地・1日    老化は避けられない。日々膨大な数の脳細胞が消滅しているらしい。その一方で頭は使えば新しいシナプスも日々出来うるらしい。だから諦めたらダメで、ポジティブに毎日を生きろ、というのは少し胡散臭い。  それにしても老い込んではダメだというのは、感覚的にわかる。 どうしてシナプスを作ろうか?  読もうとして読めなかった本を読むことにした。カラマーゾフの兄弟、白痴、戦争と平和、魔の山・・・・・。  そして次は「失われた時を求めて」。これこそ読もうとして読めなかった究極の作品だ。 読み切れるか?