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2月, 2022の投稿を表示しています

石碑裏 隠れたつもり 尻尾さん 春は匂うが 風はごめんだ

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   毎朝起きたらまず楽曲を聴く。今はベートーベンの交響曲第7番と8番だ。CDに不具合が出るまでずっとずっと聴き続ける。飽きることはなく、どんどん深みに嵌まる感じだ。  その前はブライトマンやヘイリーの声楽集であり、その前はショパンのピアノ曲集であり、その前はNHKの名曲アルバムの「ヴァイオリンに魅せられて」だった。  朝起きてテレビから人声が聞こえるのが一番嫌だ。朝のイメージとそぐわない。騒々しくて未成熟で生半可で神経を逆撫でする。   歌詠めば 隠れしことの 明らかに 知らざりしこと 知った悔い知る                 

初ほけきょ 春めく日差し 風柔ら 猫聴き惚れて 斜面に佇む

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煽られる 高き枝枝 微笑みて 大地の息吹 そこはかとなく

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   決まり台詞は聞いていて鬱陶しい。例えば「〇〇の外交はしたたかだ。」どうしようもない、打つ手がないといった閉塞感をただ単に繰り返し、訴えているだけだ。彼らがしたたかなのは、その理由がはっきりしている。結果に命がかかっているからだ。失脚すれば命の補償はない。権力だけが安全の保証であり、そこに憲法も裁判所もなければ、誰の約束も存在しない。それに引き換え、当地の政治家はどうだ。失政を犯してもぬくぬくとしている。そんなところに、したたかさが存在しえようか。  同じように唖然としたのが、侵攻された地からの特派員中継だ。ホテルに籠って、南方に火の手が上がりました、だって。爆音に記者がオロオロしていることだけは伝わった。しかし、生活のほとんどを失くそうとしている人のリアルは全く伝わらない。記者は当地にいるのと東京にいるのと寸分変わりない。イラク戦争があった時、現地報告として、カイロから中継していたようなものだ。

春の今 どうしているの 蝉たちは 冷たい地中 潜み蓄え

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      下り坂 病院からの 淡路島 いつもと違い 猛々しい  毎日自宅から見ている淡路島は穏やかなボヨンとした印象だ。平べったくて変化のない凡庸な風貌なのだ。  ところが病院からの帰り道は急勾配でそこそこ標高もある。そこから淡路島を見るとまるで違った印象なのだ。凹凸があってゴツゴツしている。  自宅から見える淡路島が老年だとすると、下り坂から見える淡路島は壮年そのものだ。  危険な香りさえする。  先日淡路の花桟敷公園から見た六甲山にも驚かされた。いつも見える鉢伏山、旗振山は、山というより丘みたいに、すぐ登れる親しみ溢れた場所だ。ところが花桟敷公園から鉢伏山、六甲山を見ると、驚かされた。鉢伏山の背後に大きな大きな山塊が黒々と控えていたのだ。鉢伏山を含む須磨アルプスが、小さなプードルのようで、後ろに獰猛なシェパードが控えているような感じだった。  

減っていく タコの赤ちゃん さかなの学校 隣人嘆き 話かけてくる

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 「さかなの学校」は、三井アウトレットパークマリンピア神戸内の体験学習施設。  そこで蛸の赤ちゃんを飼育していたのが、どんどん亡くなっているらしい。  これを同じマンションの住人ながら名前も知らない人が話しかけてくる。このご時世マスクをしているから顔も定かではない。  元気な老人はその辺りを散策したがる。そして何かしら感慨を漏らしたい、伝えたいわけ。  一方で所在無げに単に歩を歩めるだけの人もいる。誰かと話したいのではと推測する。  

松の上 白雲流れ 青引き立つ 目線上げれば 満天のくう

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    冷厳な 風吹き荒び 襲い舞う ひととき経ちて 温かみ戻る

こころざし 人生全て 枠付ける わかるのはほぼ 終末あたり

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   毎週目を通す記事は二つ。  一つは、週刊文春の「言霊USA(町山智浩)」。アメリカがとっても好きになるし、とっても嫌いになるコラム。  もう一つは、週プレの「リリーフランキーの人生相談。」今週の相談者は、21歳年下の女性と同棲を始めた47歳男性。出会いが変わっていたことと年齢差を気にしている。回答者の発言の全てが全く違和感がなかった。あたかも自分がそこにいて話しているような錯覚さえ覚えた。したがって感銘もなかった。  たまに見る記事に、「蛭子能収のゆるゆる人生相談」(女性自身)があるが、これにおいてすら感銘を受ける発言を見出すことがあるのに。  かくのごとく「リリーフランキー」という人にシンパシーを感じている。  こういう人がもっといればいい。吉行和子とか・・・・。  昔こういう話をできる相手がいた。どこへ行ったのだろうか。

満たざれば 補うが常 欲求す 欲しくなければ 先長くなし

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          偏狭さ 人去り行かせ 仕方なし 一人ゆえこそ 見ゆるものも

誰にでも 若き春風 老いた冬 巡り巡りて また繰り返し

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          守るもの きっと見つかる そこからは 次第に晴れ 輝く峰々

二年(ふたとせ)の 時を巡れば 口惜しい 飲み合うことさえ 儘ならずかな

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                スイセン 平磯緑地なぎさ池      煽られる 高き枝枝 微笑みて 大地の息吹 そこはかとなく

身刺す風 遮れれば 陽ほのかに 我が身を包む 慈愛こそ知る

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       大橋の中央部の遥か遠くに小豆島が見える。

願っても 叶わないこと 願わぬに やってくること くるもの変わらず

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   些細なこと 希望持ったり 嘆いたり 繰り返しても また繰り返す  柔らかな 冬の日差しに 包まれる 頬あたる風 季節移ろう               

5時間 院内待機 手術中 思わぬ仕儀の 招く大事(おおごと)

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   主婦がお掃除をしていて大腿骨骨折はあまり聞かない。  手術時間5時間は、なんとかなくありそうな気もする。  主婦がお掃除をするのはよく見聞きする一方、手術については、受けた手術、見聞きした手術とも決して多いとは言えない。この二つの条件を勘案すると、5時間の手術を受けるような骨折は、日常生活上はまずないという、ごく平凡な結論に至る。  これにいま流行りの基礎疾患を抱えているという条件を付加すると、俄然深刻度が増してくる。  経験から言えば、深刻な事態は稀とは言えない。(ただこれは人によって極端に見解を異にする可能性がある。)ここから右往左往してはいけないとか、教訓らしきものが導き出されるが、教訓らしきものは、おおむねイカサマくさい。  深刻な時は、右往左往すべし。

走れば しっとり汗ばむ 池の端 北では雪の 激しく降るに

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   ここのところすっかり暖かくなった。汗のかきようでわかる。  一方雪に悩まされる地方も多い。見た目に惑わされるのは、暖かいところの人だけだ。雪が降り積もると、まずそこを進むのが難儀だ。ない時に比べて何倍ものエネルギーを必要とする。もちろん時間もとる。滑って転ぶリスクも小さくはない。そしてもう一つは、ルートが見えなくなることだ。雪は全てを覆い尽くして単一の世界にしてしまう。  

さあ行くぞ 目指すは四国 まず大橋 眩しい朝陽 囃し立てるよ

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   自室の窓から何気なく西方向を見ていたら、明石海峡大橋をいく車両が見えた。 そこで一首。     大橋を 四国に向かう 車行く 朝陽に映えて 眩しかろう  いかにも凡庸だったので、冒頭の歌のように変えた。この頃四国に行くとしたら、桜を探しにだろう。橋を渡るたびにワクワクするような気持ちになったものだ。

3度目の ワクチン接種 訝しい 繰り返すこと 弊害思う

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  3度目のワクチン接種を受けたが、2回目まであった熱気が会場から失せていた。高齢者はおおむね定刻より前に来るが、前回はそのような人に対して厳しく対応し、追い返して、会場に入れなかった。ところがどうだ。今回は30分待ち、1時間待ちの椅子席まで用意されていた。大規模会場と集団接種会場の違いかもしれないし、そうでないかもしれない。  ADE(抗体依存性感染増強)という概念があり、韓国やシンガポールで起こったのではないかという疑念がある。

妻倒る 緊急搬送 慌し 亡母の記憶 ふと蘇り

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かも潜る 残る水紋 凹(へこ)みたる 次から次に 競えよ競え

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  船の右が淡路島、左が友ヶ島(和歌山県)、間が紀淡海峡。 南に四国は見えない。西を見れば小豆島(香川県)を眺められる。

咳き込めば すわコロナかと 怪訝顔 咳の原因 数多溢るる +統計

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   この1ヶ月で閲覧の多かった日を紹介します。     1月13日 森入れば 強風去りて 一息つく 樹々の守りの 雄渾思う     1月15日 階段に いつも肩よせ 語らいぬ 背しか見えねど 時を惜しみて     1月24日 身近にも 禍害の影の 忍び寄る 孫に会えず 今日から10日

水温む 風穏やかに 春運ぶ ほんのそこまで 見えるかのよう+ご挨拶

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                                  平磯緑地の東端に「なぎさ池」がある。鳥の楽園である。          この写真もカモが潜る一瞬を捉えている。  ご挨拶    ブログ開設1ヶ月が過ぎました。   この間の延べ閲覧者は、550人でした。   感謝します。    技術上の問題点は二つ。     一つは、現在ブログ名「絵日記愛好家みそひともじの世界」では検索できないこと。     二つ目は、URLの問題です。現在直接https://lookwatatsumi.blogspot.com/と打ち込んで    もヒットしない可能性が高いこと。(ラインやメールに貼り付けられたものをタップす    るとヒットします。)     いずれも周知度の問題かとも思いますが、長年のブログ経験からすると理解し難いこ    とで、改善を模索します。  

真鴨らは 上(かみ)に向かいて 音符状 流れのさざなみ 体で感じ

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   福田側の最近の印象は綺麗な川といった感じだ。下から上までずっとボラがいる。   ある時全部で何匹くらいいるのだろうかと、孫に問いかけようとした。「わからない 」と   帰ってきたら、数える方法を教えないといけない。例えば50メートルくらいの間に何匹   いるか数えてみる。それさえわかれば、あとは川の全長とか川幅とか水量とか勘案すれば   概数は掴めるはずだ。    孫の年を考えてしばらくこの問いは保留して、川上まで歩いた事があった。少し驚くよ   うな事があった。川藻を被ったようなボラがいたことだ。正直言って少し引いた。  

背押す風 西から強く 寒さ添え 寂しき葬儀 身震い寄せる

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          昨日はことのほか風のきつい日でありました。寒くもあり人の出は極端に少なくタクシーもまばらで、拾うのに一苦労でした。小さなお寺で営まれた葬儀は、本堂がしんしんと冷え込んでおりました。親族四人とそれ以外四人の葬儀で目を引いたのは、四人いた故人の姉の関係者が一人もいなかったことでしょう。いずれもかなりのご高齢とは拝察しますが。  故人は25年患ってきたという。おおむね療養所にいた期間とその後の病院暮らしとが半々という感じになる。療養所時代格別病気というわけではなかったから、比較的やりたい放題ではあった。池の周りでバーベキュウーを楽しんだり(もちろんアルコールも楽しむ)、施設から連れ出して寿司屋やバーを転戦したりした。正月にはおせちを持ち込んで新年を祝ったりした。子供に会いたいというストレスからか飲みだすと止まらず、ほとんどの場合嘔吐して施設の人に迷惑をかけてきた。  その後淡路の病院に転院した。理由は知らない。その後に胃瘻手術を施した。食べること飲むことが楽しみであった故人にとってかなりの部分を失ったように感じた。  面会も叶わなくなり、唯一できたのは月に一度発送する絵葉書だけとなった。

白雲の 高く浮かび 音のない 昼下がりの森 所在のない間

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    右の山が鉢伏山。頂上付近に展望台が見える。頂上から真っ直ぐに山電須磨浦公園駅に下ると、眺望がズンズン開けて気が晴れる。   左が旗振山。摂津と播磨の国境。旗で情報を伝達した。したがって二つの地方がよく見える。絶景。東を臨むと足元にモチノキが植えられている。   この二つの山の背後には大きな山塊が控えている。淡路島の花桟敷公園から見るとそれがよくわかる。六甲連山だ。つまりこの鉢伏山が六甲連山縦走の最初の山ということになる。  ところで芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」だが、夢を見るのだったら枯野ではなく緑野の方じゃない、と思ってしまう。枯野が季語だから、それはまずいとか、現に夢見たのが枯野だったから、それで良いとか、いろいろな意見があろう。  でも駆け巡りたいのはどっち?    枯野?  緑野?

友の逝く 三十年余 満たされず 更に胃瘻の 酷さ晒され

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                                                      セイヨウタンポポ 平磯緑地     季節の先駆けのような、地にへばりついたタンポポを見つけた。思わず走りすぎてしまうような小さくて、たった一つ。しかも歩行路というか走行路というか、人が踏み締めた芝の上。環境のよろしくないことは他に花が見えないことからも明らか。  

ふとの間に 思い返せば 悔い生まる 悔いが悔いよび 疲れて眠る

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              大杉谷の滝     長く生きていると、良いことも多いけれど、良くないことも多い。  あえて今日は良いことを考えようとか、今日は良くないことを考えようとかは思わないけ  れど、ふとした瞬間に、どちらかのモードにスイッチが入ってしまう。   寝床に入っているとしたら、その暗い設定からしてやはり「良くないこと」の方に振り  子が振れがちかもしれない。   悔いは、所詮済んでしまったこと。今更考えても仕方のないことである。極端な言い方を  すれば時間の無駄である。   だから早々に切り上げるのが望ましい。放っておくと普通は寝入ってしまう。考えること  は余計なエネルギーの放出だ。   さあ寝るぞ、という合図を決めている。深呼吸だ。  

山登り ずっと雨だった 時期もあり 何故そこにいると 何度も自問

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   何年かにわたって山登りするたびに雨に祟られたことがあっった。 鳥海山、大峰山、大杉谷、飯豊山など。ずっと雨具が手放せず、天候はいつもどんよりだと思い込んでいた。晴れ渡った大空は記憶の片隅にも残っていなかった。この頃は出かける前からどうせ雨だろうと予想していたものだ。  他にあげれば、鳥海山では立っておれないほどの強風と寸分先も見えない霧にも悩まされた。飯豊山ではまず雪渓だろう。長い雪渓にルートを探すのに苦労した。大杉谷では岩肌が水で滑るのとやはりヒルだろう。  山小屋で寝入る時何故こんなに遠くまで雨に濡れに来たのだろうと一瞬思う。そして次の瞬間寝入っている。多分それが理由だろう。