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9月, 2023の投稿を表示しています

子供へのバースディーメッセージと統計

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    長男のバースディーメッセージを考えた。       良き友は 歩み歩みて 人生の 成績表と 古人の言わる   実際に古人が言ったかどうかは知らない。友人を多く作ってほしいとの願いを込めた。友人を多く作ることは、友人に優しくすることだと思っている節がある。少し違う。本筋は思い切り自分らしく生きることだ。人の目を意識せず没頭することだ。その結果成績表として判定が下される。  先月末時点の訪問者は6266名でした。

朝夕の 凌ぎやすく 秋迎え 果たしてこのまま 大団円

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 気候から宗教が生まれたとする説がある。それだけ翻弄され、制御不能と考えられていたのであろう。ところで解明がいくら進もうと、翻弄されることに変わりはなく、制御不能も相変わらずだ。  

ひらひらと 舞い落ちて来る 黄色の葉 風に冷気を 探し求めて

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  2、3日前は朝夕がとても凌ぎやすく、ほっとしたものだが、昨日はひどかった。まじ蒸し暑かった。昨日は恒例の引きこもり老人の見舞い日だった。ラフロイグを持参したのだが前回のボウモアと同じくらい喜んでいた。シングルモルトをストレイトで味わう風潮がほとんど見られない。さびしいことだ。

時の自覚 ふと失いて 今はいつ 若き学舎 戸惑う山裾

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   旧友が集った。知り合って40年以上、最後の宴席から10年以上。各々に不幸が襲い、過ぎていった。

大荒れの 浜辺波打つ 秋の昼 白波も立って 船も疎ら

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    ここから淡路北端を望むと住戸が判別できる。開かれているのは二カ所に過ぎないから湖みたいな感じだ。二カ所の一つは明石海峡でとても狭い。しかも大型船が少なくない。当然交通整理が必要だ。海峡の真ん中で大型船が向かい合うのはよろしくない。大型船はすぐには止まれない。西からと東から海峡に入る船は管理され、それは公開される。だから海峡を大型船が渡ろうとすると大阪湾海上交通センターにアクセスすればその詳細が判明する。船名、大きさ、船籍、行き先など。  

森の中 モゾモゾしている 小太り人 近寄り見れば 猫らがじゃれ合い

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   世の中には猫好きが多い。媚びないところがいいと言うらしい。媚びる人ばかりだからせめてペットには我儘に過ごしてほしい。そんなところだろうか。  従順な犬はどうだ。虐待を受けてもそれが終われば飼い主に擦り寄る。我が身をみるようで辛いと言う向きもある。  文鳥はどうだ。いっとき凝って何羽も買ったことがある。ひなから育てる。割り箸を削ったものでヒエだかアワだかを口に運んであげる。食べきれないほど口に入れて口の下がプーと膨れる。成長すると肩に乗ってくる。肩から肩へ飛ばすのが面白い。あちこち糞を撒き散らすのは閉口するが。それらもなんかの手違いでふいと大空へ舞い上がってしまう。一宿一飯の恩義もありゃしない。  それが動物だろう。

久々の 友との会話 弾みつく 生きるを越えて 生まる温和さ

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              24日・平磯緑地・ヒチヘンゲ     平磯緑地に入る陸橋の上に踏み潰されたカメムシが数多く散乱していた。こんなことは初めてだ。陸橋の床材はゴム状のやや柔らかい黒いもの、カメムシはそんなところが好きかも、そして敏捷とはいえない虫、急足の人が構わず通り抜け、カメムシは押しつぶされたようだ。

夏去れば 夏の恋しい 秋なれば 秋愛おしい 鶺鴒の言う

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    昨晩リビングの南側の網戸に多くのカメムシが張り付いていた。そしたらマンションの上階の知り合いから同じような情報が寄せらせ、気色悪いと訴えてくる。  サルスベリの花が例年以上に目立つこと以外これといった異変は特に感じないが、ちょっと他の異変にも注意してみるかな。

あちこちに 頭ぶつけて 思い知る ぶつけない子の 先行き怖し

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  今垂水は建築ラッシュの佳境にある。規模の大きさからいえば、第一はアウトレットの作り直しだろう。建物の再建築ばかりか地形まで変えてしまおうと言う勢いだ。これは豪勢だ。  次は商大筋の徳洲会病院の新築だろう。養護施設と体育館の二つの施設の敷地を合わせた規模になる。  次は駅前の再開発だろう。30数階建てのマンションや商業施設棟が建つ。  次はその斜めにある小学校の建て替えだ。授業を継続しながらの工事で関係者の苦労が偲ばれる。  次は市立図書館の建築だ。  後は元警察署跡地の養護関係の施設の建築。  垂水駅西口前の三階建て商業施設の建築。  垂水駅西の3階建て駐輪場、福田川東のマンション、それに平磯緑地の体育館は既に建築終了だ。  商業施設については今既に空きがある。さらに増えるわけで先が読めない。  

吹き付ける 生温かい風 台風か 暖気を一掃 舞台を秋に

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    ぬるま湯に浸かり続けたら、きっと大きな変化を期待することだろう。冷水をかぶることかもしれないし、涼やかな風に身を委ねることかもしれない。  ぬるま湯とはいえ、密やかにコロナやインフルエンザが跋扈している。これらの禍害に敏感な状況にはあるが、意外と息長く状況対応力に優れているのは驚きである。  今後どんなシナリオがありうるのか、緊張感を伴って、付き合うことになる。

爺さんは 意地汚いと 婆さんは 小うるさいと 時代が作った

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    大雨が来るぞ、次は来るぞと言い続けられてきたが、結局あったのは短時間の降雨で、お湿り程度であった。各地に大きな水被害の一方で、当地のようにカラカラの土地も少なくないであろう。  かくなるアンバランスな気候が次なる時間を制する、と結構言われている。そうかもしれない。アンバランスという用語の中にある「狂気」が微かに匂う。  気候は穏やかであってほしい。まるで我々の関心事ではないように。

丘下る 数羽の鳥たち 風を受け 海に向かいて 無心を運ぶ

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          連日実に蒸し暑い日が続いている。過去にあったかもしれないが、その時もきっと不愉快な気分で日々を送ったのであろう。対処の方法は一つ、そのことを考えないことだ。

吹き飛ばし 地に叩きつけ 去って行く そんな無慈悲な 風一つあり

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   あるアプリで英会話を習っている。毎日少しずつ続けて行く目論見で2週間が経った。簡単な単語が聞き取れないのには唖然とさせられる。veryやeat lunchが聞き取れない。後者に至ってはイッランチにしか聞き取れない。できることは繰り返すこと。

激しく 照りつける秋 ミスマッチ 落ち着かない 流れに戻れ

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               ツユクサ・17日・平磯緑地  フィンランド映画「過去のない男」はとても興味深かった。アキ・カウリスマキ監督の敗者三部作の一つらしい。聞かない三部作だが、まあいい。妙な間ややや想像しにくい行動などがあり、異国の作品だなという側面もある。とってもとってもお金のかかってない作品だとはよくわかるが、それが狙いなのかもしれない。映画祭の受賞作らしい。大金投入のアメリカ映画に飽き飽きしているのだろう。それにもう一つ。美女の登場はなし。これも次から次へと美女や美女風が出てくるアメリカ映画への意趣返しか。  どうなるものかと危うんでいたら最後はまーるく治って、よかったよかった。       

昼下がり 木陰で憩う 野猫のよに 君は静かに 飲んで横たふ

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  敬老の日記念の孫の保育園の参観日に赴いた。孫は年長だが、総じて年中、年少との違いが歴然としていて驚かされた。おおむね覚めており、騒ぐことも、ぐずることもなく淡々とスケジュールをこなしていた。この保育園では、年長が特定の年中や年少の面倒を見ることになっているが、あるとき感想を聞いたら、一言「うざい」。中三の子に尋ねた際に聞いたかのような印象を受けた。  それにしても孫は成長していた。

かつて泣いた 「お悔やみ」ハガキ 珍しき名 お店の壁に 悲嘆蘇る

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   阪神タイガースが十数年ぶりにセリーグ優勝果たした。かつては熱心に応援し、何度も球場に足を運んだ。今はごく一部の例外を除いてほぼ関心がない。そして一部の例外とは近本選手だ。ごく当初から注目していた。その強い打球に目を見張っていた。  ヒットと凡打の違いは何か。守備陣のいるところに行った打球とそうでないところに行った打球の違いだ。ところで打球の行き先までコントロールできるものだろうか。バントならある程度は可能だろう。しかしバントに爽快感はない。  そしたら打者にできる打球へのしつらえとは何か。ひたすら強い打球を打つ以外にない。いくら強い打球を打っても守備陣の正面なら取られてしまう。しかしそんなことは仕方のないことだ。強く打てば、守備陣が現場に到着するまでに外野に抜けるかもしれない、例えグラブに阻まれても、それを跳ね返すかもしれない、そしてスタンドに入ってくれるかもしれない。ヒットを打つためにはひたすら強い打球を目指さなければならない。  強い打球を打つためには、正確に強くバットを振り抜かなければならない。ヘッドアップせず、しかも全力をバットとボールの当たる場所に注力しなければならない。  もちろん体力が必要で、それ以上に筋力が必要で、それ以上に運動神経が必要で、それ以上に精神力が必要だ。  だからほとんどは天性のものだ。近本選手には当初からそれが備わっていた。

繰り返し 生まれ変わる 三十万回 使い回される 原子の諸君

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   あらゆる物質は原子やその集まりである分子で構成されている。地球にある原子、分子の総量は原則ずっと変わらない。例外がほんの少しある。増えるのは隕石が原因であり、減るのは地球外にロケットが飛び出すからである。総量は変わらない。  ある物質が壊れ、原子、分子に戻り、それらが再構成されて新たな物質となる。私の体のカルシュウムは、ずっと以前は獰猛な熊を蘇生していたかもしれない。他のある原子は、ナポレオンやヒットラーを組成していたかもしれない。  だから前世は何だったとかの話も全くの与太話とは言えない。しかし、こういう場合「前世にあった」とされるものは、必ずしも物質的なものとは限られない。  ところで存在するものの内で物質的でないものとはありうるのだろうか。今まで言ってきたように物質的なものは全て使い回しだ。そうでない霊的なものはどうだろう。はっきりしないが「不滅」的雰囲気を醸し出しているようだ。それなら地球上は霊で埋め尽くされているはずだと悪態をつく輩も出てくる。霊はそんなものではない、と反論が出てきそうだが、彼らの思考に合理的なものはないのだから、それを求めるのは酷だろう。  太古の時代から1万2000年前までそんなことを考えた人はいそうもない。オオカミが考えていないと同様だ。オオカミだって考えているかもしれないじゃないか、という定番反論は却下。  要は農耕が始まってから、霊もはじまった。

昼将棋 三局指せば 疲れ果て 飲んだウイスキー  回るよ回る

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    何日に1日は朝エアコンを必要としなくなった。コートを着る時期があるなんて想像もできない。悪態は大人気なくて吐けない。制御不能な気象が宗教を生み出した、とはプルーストの指摘だ。  

ぞろぞろと くだくだ歩く 晩夏の昼 なぜに一人で 風に吹かれん

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    この月火で、皮膚科、内科、眼科、歯科を軒並み回った。紫外線療法を受け、服用薬の処方を受け、視力検査を受け、定期検診を受けてきた。申し訳ないほどの出費で恐縮の至り。これらに年金支給が加わるから厚生予算が一番大きくなるはずだ。一番適した言葉は「おもさげなし」だ。

座り猫 振り向き睨む 雨の後 戻った世界が また邪魔される

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  今日は当地で王座戦第二局が戦われる。藤井さんのライバルは伊藤匠7段と思われるので、王座戦はクリアしてほしい。       

良い人を 演じきれない 奥深さ 悪役身近 生きるに等し

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 週末は小さな地震が九州で頻発した。大谷君が試合に出なくなって1週間以上経った。藤井君は王座戦の第二局を12日に神戸で迎える。  

居酒屋で 頷き合った 清張の 判じ切った顔 良いよねって

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 松本清張は、中高時代試験の前になると読みたくなる作家であった。試験準備をしなくてはいけないのに、そんな時に限ってやたら読みたくなる。あまりに多作で全貌を描ききれない。あざといページ稼ぎもあった。しかし何事に対しても真実探求を貫いた。多くの作品を読んできた。ただ好きな作家として名前を出した記憶はない。  ざっと上げていく。西郷札、日本の黒い霧、黒い福音、砂漠の塩。  

ふと気づく 50年前の 気配りを 微かに察し 触れずに過ごした

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                平磯緑地・8日・ノウゼンカズラ     近くの小学校ではインフルエンザが流行っている。学級閉鎖も相次ぐ。

「ちくしょう」 何度出ても 表せず 心も晴れず でも心の友 

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              平磯緑地・7日・サルスベリ  今年はサルスベリの当たり年だ。平磯緑地ではあちこちで見る。やっぱり一番心惹かれるのは白だ。オフホワイトの静かな佇まいは凛とした感銘を連れてくる。  

癌になる 煙突のよに 煙吐き 何故に忙しく 走り抜けるや

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  友人が肺がんになったと別の友人が伝えてきた。それで別の別の友人にそのことを伝えた。後で分かったことであったが、それは最近のことではなく、1年ほど前のことらしい。ところでこれで友人の発癌患者は二人になった。  毎日毎日何千個ものがん細胞が生まれている。毎日毎日何兆個(単位は怪しい。)もの膨大な数の細胞の転写(コピー)が行われるのだから一定数のコピーミスは仕方がない。この何千ものがん細胞を撃退するのが何段階にも設置された免疫システムだ。癌は生じないように祈るのではなく、免疫システムにひたすら頑張ってもらうより仕方がない運命だ。  この免疫システムは、体温摂氏35度台で最も活動が鈍る。もっとも生体としてはこれ以下の体温は考えにくい。そこで体温を上げることが求められる。  まず思いつくのは、熱いものを飲む、風呂に入る、栄養のある食事を取る、そして筋肉を増やす。  これ以外にも免疫システムを円滑に機能させるメカニズムが考えられる。心穏やかに悲観的にならずに過ごすこともそうかもしれない。  宗教という人間の知恵に親和性を帯びてくる。

何気なく 便り認め 「友」想う その相方の 心中朧(おぼろ)

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 ほんの僅か「秋」が感じられる。  

あの頃は 力不足で 先見えず 薄暗い中 自信も失せて

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 「失われた時を求めて」は第4巻に入った。「遅々として進む」というのが昨今の新しい表現らしい。ウクライナ軍の反攻が、遅いけれども、進んではいる、という状況を表現するらしい。まあ同じようなものだ。  ところでどんどん忘れていくのになぜこんな長編を読んでいるのだろう。それは多分、この小説がブロックを積み上げていくように構成されたものではないからだろう。読んでいる箇所その部分その部分を楽しめたらいい。

暑さ解け はや松虫の 草叢に 定めに添いて 次から次に 

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 ひやっとした風を感じたいものだ‼︎  

「誰っ」と 俄に問われ 固まる身 訪れ5時間 「認知」の不思議

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     誰かに認めてもらいたい、なんでもいいから感心してほしい。  対象が一人というのは通常よくあることかな。対象が誰それと特定できないのは困ったことではある。複数あるということは基準も複数存在することになる。こうなれば基準関係なしに誰をも感心させる大きな話になる。「アフリカで金鉱を見つけて大金持ちになった。」「ヨーロッパで社会貢献の表彰を受けた。」  判断するのは自分でなくてはいけない。もちろん批判もある。自己中だ、とか、世間知らずだとか。  自己中と称賛を求めて彷徨うのとどちらがいい。人生の難問って概ねこんなふうに究極の選択に委ねられる。

秋晴(あきっぱれ)れ ふと口にする ジンロック あああの頃は 甘さ加えた

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          平磯緑地なぎさ池・1日・サルスベリ    ジムに通っていた頃終わった後バーに寄り口にしていたのはジンの水割りだったような気がする。最近になって好みはジンロックだ。米焼酎のロックのあまりの香しさに、連想がジンに飛んだ。  昔は喫茶店でジンフィーズとかジンライムだとかを飲んでいた。後味のべとつく甘さが後悔を呼んでいた。  いつの頃かイギリスでは航海に出る時大量に積み込んだのがジンらしい。スコッチは高価すぎるからそう大量には積み込めない。  最近は結構ジンが見直されている。町おこし村おこしの格好の一品として。醸造しないから設備投資が限られ、風味も変えやすい。もっとも昨今の若い人のアルコール離れは、ボディブロウのように効いているらしいが。