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7月, 2022の投稿を表示しています

せっつかす ジンジンの声 暑苦し 生き急ぐぞと 騒ぎ立てるなよ

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    夏の花。ムクゲ。キョウチクトウ。そしてサルスベリ。桜吹雪の如く。暖風に舞う。

禍害ゆえ 欠礼の理由 しっくりと 明けの煩わし 永遠に禍害を

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   久しぶりに左の葛城山と右の金剛山の間の切れ込みがくっきりと見える。神戸西からこの方面を見てくっきりしているのは珍しい。大阪湾が湖のように感じる。

四度目か ワクチン慣れて 禍々しい 数百年の 知恵に縋って

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        孫娘が感染者になって、家族も濃厚接触者として自宅待機を余儀なくされている。指導によれば感染者と最終接触した日から5日間とされている。問題になるのは、感染者の同居者だ。離脱できない同居者は、感染対策をとることを条件に、発症日から起算していいことになっている。この部分に欺瞞を感じる。感染者が幼児である場合、感染対策は絵に描いた餅になる可能性が大きい。  行動制限そのものを無意味と考えるか否か?(無意味と考えるなら一切の自宅待機は必要ない。感染者は単に患者として治癒目的に自宅で休んでいる。)  行動制限の意味は何か?(エアゾール感染説を前提にするなら、エアゾール圏内に他人が入ってこないようにして、戸外活動も許容される。)  パニック対策はいつも同じだ。多くの範囲から情報を集め、自ら合理的な思考を重ねて結論を導き出し、果敢に実行すること。

歩道橋 残した犬糞 気にした目 暗部の隅に 積み重なる恥

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    人の目があるところでは、犬の糞の始末を甲斐甲斐しくするのに、誰もいないとなればスルーしてしまう人がいるようだ。 なんとなく嫌になるのは、人の弱さを見せつけられるような気がしたからか。キリスト教の下ではいつも神が見ているとされる。一方恥の文化の国では、他人がそこにいなければ恥は成立しないというばかりに表現される。  森の中に白いビニール袋に入ったゴミが捨てられていた。回収しようか迷ったが、とりあえずスルーした。不埒に捨てる人がいて、一方回収する人もいる。理不尽なような気がしたが、誰かの不正を誰かが補正したとすれば、それはそれで合理的なのかもしれない。翌日か翌々日そこを通ったらそのビニール袋は存在しなかった。  過ちが放置された犬の糞、補正されたビニール袋。世の中にはいろいろな形態の不正があり、それは補正されたりされなかったりする。

ハト逃げず カラスも逃げず そのうちに スズメムクドリ まあ寄っといで

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   日本における新型コロナ感染者は、先週世界最多になったらしい。聞いてみれば、親戚などに感染者が現在いるないしは過去にいた人は、少なくはない。聞いていると夫婦二人暮らしで二人とも感染は納得。夫婦と小さな子供二人暮らしで、父親だけ感染した、そしてそれは何ヶ月前の話となると、なぜ父親だけの感染で済んだのか気になる。  それにしても世情は落ち着いているようで何よりだ。

ジィージィーと 聴けば 心の 落ち着きて 遠き昔の 行き違い想う+ご挨拶

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     ご挨拶  本日で投稿首が200となり、延べ閲覧者が2600人となりました。ブログ名も「海峡のセフィロ」となり、これで用語検索が可能になりました。当地は、目の前の海峡と西風がなんといっても特色です。これが名前の由来です。

あちこちに 仕組まれし 不幸の種 薄氷の上 列車爆走

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   一つの家族の歴史を振り返ってみただけでも、悲しくも不幸と呼べる事件は少なくはない。ということは、これからの家族も同じようなことになる可能性が小さくはない。そしてあたかも終わったかのように綴っているこの身にしても、実は終わってはいない。

今日もまた 禍害とはいえ 花の萎れ 鳥は啄み 風の流るる

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 昨日はコロナワクチン第四回目の接種後二日目だった。               第一回目と第二回目はファイザー社製のワクチンで、副反応はなかった。        第三回目はモデルナ社製のワクチンで、副反応はそれなりにひどく、接種後二日目は寝込んだ。今回は同じくモデルナ社製で副反応はそれなりにあったが、前回ほどはひどくなかった。  ワクチンの種類を変えた理由は自分なりにはあるが、確たるものではないので控えておこう。  今後さらにワクチン接種を検討しなくてはならない時には、接種そのものについても考え直してみるつもり。  

打ち止めは いつになるのか ワクチン祭り 死ぬまで続く ウイルス騒ぎ

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   自分史を書いてみようと思う、と漏らした友人。あえて何も発しなかったが、心中はと言えば、馬鹿げたことを。都合の悪いことは改竄、無視、いいことは大盛りに盛る。それは一体何のためにやるのか。仮に真っ当に過去に向き合うのなら、それはそれでとても辛い作業になりそううだ。そして結局その話は沙汰止みになった。  わざわざ自分史だと看板を上げることはない。何かを書けば、何かを話せば、それは結局人生がそこに表現されている。

許された 愛された記憶 時の経ち やっと分かった 恩師のエール 

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  ホームドラマ。例えばこんな筋書きだ。親が娘の結婚話に反対する。まあ年が若すぎるという理由にしておこう。すったもんだあった結果、その結婚相手がいい人であることがわかって最後は円満落着。おおむねこういった塩梅だ。実際に日常で起こる流れというのは、娘の結婚相手はそこそこいい人で、結婚はそこそこスムーズに進捗した、ということになる。  世の中で起こることは、多くの場合初めから収まるところは見えている。これをなんとかお話にするには、どうでもいいことに怒ったり、剥れたり、そんな人物が必要だ。それが頑固親父であったり、いけずなお婆さんであったりする。そしてもう一つの要件は、これらの人物は程々のところで、我欲を捨て去らねばならない。  長年ホームドラマは世の中に不要だと思っていた。  でももしかしたら効能はあるかもしれないと思えるようになってきた。ホームドラマはバチッと弾けてその後修復するわけだから、諸々の小さなずれや不一致はこの際一挙に解消することが考えられる。  それにしてもくだらない。

叫べども 何度叫べど 叫べども 答えぬ人よ 何を想うや

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            第63期王位戦第3局が藤井王位の勝利で終了した。途中豊島九段が昼食を挟んでの4時間を超える長考を成した。その結果の手は、解説者が先がないと読んだ手であったため、豊島九段の負けをはっきり意識した。中終盤の長考は、勝ちを見越したものでなければ、その局を失う。長考の割に出てきた手は、あまりにも平凡過ぎた。  豊島九段は藤井王位さえ現れなければ、楽しい棋士生活を送れていたと思う。調子が良ければ勝ち、相手の調子が上回れば負けるのようなことを繰り返しながらキャリアを積み上げていたことであろう。それが今や全てのタイトルを失い、惜しむらくは棋士としての輝きさえ失っていくように感じる。  4時間の長考の間何が豊島九段の胸に去来していたのか? 再帰を期待したい。

ありのまま 明日にはきっと 詠んでみる 隠され秘めた 心の揺らぎ

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                    山形城内  啄木歌集を読んでいたら、啄木さんが諭してくれたように感じた、1000首まず詠んだら、の言葉。素直に従って2年数ヶ月、やっと900首が見えてきた。できる日には10首近くできるが、できない時には何日もできない。別にノルマがあるわけでもないので、焦ることもない。  作成方法は変わらない。まず一句がふと浮かぶ。ほとんで戸外だ。これを大事にして、そのほかを埋めていく。この作業が一番大事だ。自分自身の隠された部分を探しにいく作業だ。  

マンションの 住人等しく 老いていく 会話も途絶え 見ることも途絶え

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     団塊の世代の膨大さは、社会のあらゆるところに影響を及ぼしている。彼らが老いれば社会も老いていくといった関連性が濃い。今切実に言われているのは住人が老いると共にマンションも老いるということだ。つまり老人ばかりになってマンションの管理運営がうまく回っていかないということだ。小さいことで言えば、居住者が老いて勝手に他人の居室に入ってしまうとか、大きいことで言えば、建て替える必要が生じても具体的に進捗しないとか。  

雨止みて 浮かび上がりし 静けさや 音なき世界 調べの響く

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   今年は、ヘラバヒメジョオンが例年になく咲き誇っている。繁殖力が強く、乾燥して痩せた土地にも育つとされている。侵略的外来種と言えそう。真ん中が黄色で周りが白い小さな花がたくさん咲く。ヒメジョオンによく似ているが、葉の形に違いがあると言われている。

鳴き声に 初めて気づく 初夏の朝 単調な調べ どこか切なし

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       新型コロナ感染者が急増している。ただ以前の急増期と異なり、重症者数はそれほど増えてはいないようだ。今年の2、3月には、集団免疫が達成され、これで終息と言われていたのに、現今の状況は今昔の感がある。新型コロナウイルスの戦略は強かということか。ワクチンしか対抗策はなさそうだ。

先に行く これが一番 西行号 老若男女 見送り涙

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   半藤一利さんによると、社会が戦争に向かう危険な兆候とは次のようなものだ。 ①被害者意識と反発が国民に煽られる ②言論が不自由になる ③教育が国粋主義に変わる ④監視体制が強化される ⑤ナショナリズムが強調される ⑥テロの実行が始まる  (この評価はとりあえず置いておこう。)  一定の姿勢が明確に読み取れる。ある思想に国民を集約していこうというものだ。ある思想とはナショナリズム。①と⑤から明らか。そして集約の対象の1番目は子供、すなわち教育だ。③。子供は免疫がなく洗脳に適していることは、リビアでも明らかだったし、現今の状況でもゲリラの戦力構成を見れば明らか。次は大人だ。意見の集約が図られる。②そして 異分子の摘発が実行される。④  ところで問題は⑤。なぜ?テロは社会の不穏を醸成する。ざわざわ落ち着かせなくさせて、将来は郊外に家を買って悠々自適だなどというマイホーム型思考を粉砕する。社会にダイナミズムを取り戻す。  ところでテロは、弱者が抵抗のためにやむなく行う、と考えるのは早計だ。それは単に一つのパターンに過ぎない。テロは、その恩恵を受けるものが行う、と考えるべきだ。  監視体制の強化を図るものは、テロの勃発を歓迎する。④と⑥が繋がる。  一般に監視機構は増殖を期する。行政機構一般の性格である。増殖するためには増殖の理由がいる。テロの増殖が必要となる。監視機構がテロの実行者側に財貨や情報を流すというのは古今東西よく見られることであるが、リアリスチックな目で見れば理に叶っているとみえる。  

葉月待つ 俄然色めく 蝉時雨 愛しと思えば ほんに染み入る

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   ここのところ蝉の抜け殻をよく見る。初めて見たのは13日の水曜日。大雨警報が出て孫の小学校が休校に。その孫を1日預かったのだが、その間に公園でキャッチボール。いつもは混む芝生の上も人影なく存分に体をほぐせた。その帰り榎の葉に抜け殻を見つけた。抜け殻は足まで残った完璧品。(写真は15日撮影。桜の木の上)

閉じられて そこで終わった 人生本 翻弄され 皆オンザウェイ

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         藤井五冠が王位戦第二局を制した。我が家では、多くの日本の家庭と同じように、大谷くんと藤井くんがダントツの二大ヒーローだ。二人の圧倒的な実績は言うまでもないが、何より引き付けるのは、将棋や野球に対する厳しいひたむきさだ。好きだからやっている。これが文字通りストレートに訴えてくる。それと礼儀正しさだ。これは教育を受けてそうなったというよりも、前述のひたむきさから自然と奔り出たと言った方が正確だ。特に大谷くんの野球用具に対する扱い方は、用具に人格を感じるほどだ。フォアボールを得た時、大谷くんはバットをそっと地面に置く。  違いはどこか。藤井くんはボソボソ喋る。マスク越しだと聞き取るのは不可能に近い。大谷くんは言葉明瞭、趣旨も明瞭だ。ただ人前で喋るのは好きではないみたい。共に強固な自己表現の場を有している。それ以外は付け足しということ。

友がいない 訴える叔父 憔悴す 理由は分かれど 何を今更

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サルスベリ                 何かの折に何気なくポツリと漏らした一言。「俺には友達がいない。なぜだ。」それを聞いて唖然とし、そして黙った。理由が分かっていたのに黙り込んだこの身も、やはり友達とはいえない。  何度訪れてももてなしは一切なく、小さな気遣いもなかった。訪問者の方が気を効かして食事に誘っても、それも応じることはなかった。  訪れたことのある人に聞いたら、同じような対応だったようで、呆れて帰っていく人もあったらしい。  30年前に亡くなった奥さんを知っている。気配り心配り満点の社交家でしかも美人だった。会社の人間関係も近所付き合いも親戚付き合いも全て彼女が上手く回していた。    全ては彼女が担っていた。  彼女がいなくなって名実ともに寂しい晩年となった。

もう死ぬの やっと死ぬの お疲れ様  生まれた以上  詮なき定め

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                  ムクゲ      ここのところ立て続けに「死」が身近に迫っている。怖いとか恐ろしいとかの世界ではないようなのだが、ただ悪い流れに入りかけてるのかなと、最近やや少し頭をよぎる。  高校時代の友人がいて長患い、療養所に入っていた。その彼を高校時代の友人二人で長年支えてきた。支えるって言っても、所詮施設の近くでバーベキュウをしたり、寿司屋やスナックに連れ出して気焔を上げる程度。長患いと言っても、病気そのものではなく、機能障害で療養所生活を余儀なくされていたわけ。  しかし結局彼は憤懣を抱えたまま今冬命を終えた。ところが今まで支えてきた二人のうちの一人が最近おかしくなってきた。残った方が今度は彼を月に一二度見舞って支える。この流れの中、最後に残った方を見守るのは誰だっていう話。  確かに昔聞いた。長く生きて知り合いが誰もいなくなった世界。それこそ地獄だという話。  そういえば世界記録並みの長寿者が出ると、長寿だ長寿だと世間は手放しで騒いでいる。だけどご本人の生の声は如何なものか。出てくるのは建前ばかりか。もし鬱陶しい話だったら、どうなる。世間のために建前ばかりに覆い尽くされる。

器用でない 自然さに覗く 非常さよ 恨みの筋と 噛み合わぬ筋

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                                                                      アジサイ  昔須磨寺に赴いた帰り、道端にござをひいて占い本らしきものを商っている男がいた。怖いもの見たさ、怪しいもの見たさで、善男善女が男の周りを囲っていた。私も少し覗いたのだが、物足りなく思い、すぐに去った。するとめざとくそれを見た男がさけんだ。「今去った者 帰り車に気をつけろ。」同行していた者が動揺した。多分囲っていた善男善女も同じであろう。  かような心の綾を操る技の習得は容易い。現にこの種の技を使って世を渡る輩は跡を断たない。生命に匹敵するくらい、あるいはそれ以上の価値を収奪されることもある。  

梅雨の明け 息つく暇なく ぶり返す 雨の日続く 更に鬱陶し

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                                                               ヘラバヒメジョオン    「 カベポスター」という名の漫才を見ていたく感激した。 今まで何度か見ているが、今回のような  印象を持ったのは初めて。穏やかなしゃべくり漫才で、とてもロジカルな構成が目を引く。永見大吾と浜田順平のコンビで、永見がネタを作りボケ担当。ツッコミの濱田の声が魅力的。  ネタの出来のいいのが一番だ。独特の世界観には思わず口元が緩む。これからも聴き続けたい。  今まで気に入った漫才は、寛太寛大、ジャルジャル、テンダラー、シャンプーハット、ナイツ、和牛。                                                 

山小屋を  出立せねばと  雨の朝  寝不足頭  霞かかりて

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                               ネジバナ  雨が降っていても、風が吹いていても、霧が覆っていても、山小屋に泊まっていたら朝は出立しなければならない。その日の宿泊予定地に間に合わせる必要性だったり、その後のスケジュールとの兼ね合いだったり。例えば帰りの飛行機の離陸時間とか。ちなみに劔岳早月尾根小屋の掲示は、チェックアウト午前6時。失苦笑を禁じ得なかった。  だから少々天候が悪くても、そんな場合にも歩き出す訓練は怠れない。山歩きは天候のいい日だけというわけにはいかない。主に気持ちの訓練だろう。   

狙撃あり 思いを込めた 銃弾の 切り裂く先に 立ち込める闇

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                  メドハギ     あの日の昼、盗聴されていることを想定して小泉首相に拉致問題に進展なければ即時帰国を進言した時から、安倍晋三さんの政治家としての前途が切り拓かれた。トランプ氏との付き合いにおいても、要は安倍さんのダイナニズムがまさに花開いた。しかし国内においては閉塞状況に飲み込まれ気味であったことは不幸なことであった。ご冥福を祈りたい。

耳震え 風切る音の のんびりと 台風合間の 時を憶えよ+ご報告

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    ご報告     この1ヶ月間の来訪者は356名で、累計は2321名でした。     ブログ名を変更しました。     「海峡のセフィロ」です。

悲しみも 怒りも共に 時の経ち 彼方に消えゆ また蘇る

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                                                                 ヌスビトハギ                                                                  つい先だって公園の管理者は大々的に雑草の除去をおこなった。年に2回は行なっている。ところがもうすでに想定外の草の繁茂は著しい。その一つが写真に写っている。  刈っても刈っても途絶えることのないエンドレスゲームだ。

森の猫 いかに雨凌ぐ 樹木下 鶯囀り 耳傾けて

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                                                                 トウネズミモチ   台風が来るぞ、大雨になるぞと散々煽り立てられたが、今の所お湿り程度だ。水害の被害の報に接するたびに、ドキッとする。梅雨が早く終わったのに気分的にはまだ梅雨の中だ。熱中症に対する対策の周知がここのところ目立っている。エアコンは27℃設定にして一晩中 つけっぱなせ❗️水は一気に飲むな❗️日傘をさせ❗️サングラスをしろ❗️  

歩むにて 身体傾ぎ そろそろり 陽浴び気吸い 喜寿を追い越し

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                     マサキ  森は老人に優しい。身体が傾いていても構わない。来る人拒まずだ。もっともご家族は心配ではあろう。時たま倒れて出会(でくわ)した通行人に介抱されている人も見る。倒れるなら家も森も同じ。いたいと思える所にいるのが一番だ。何かあるかもしれないから家にいる、というのは滑稽な事なかれ主義だ。

陽の強く マダラ模様の 森の径 日陰探して 木の熱き思う

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   「カラマーゾフの兄弟」をこんなにじっくり読んだのは初めてだ。以前は筋をひたすら追っていた感があった。今回は些事にこだわらずじっくり読めてよかった。世の中には読書会なるものがあって、読後感を述べ合うようだ。この作品についていえば、感想が多岐に渡り、生半可な行事役では紛糾必至であろう。それにしても基本的にはとても楽しくなりそうだ。作品自体は、親子の葛藤というのがキーワードみたいだが、そうかなーと思う。むしろ正確にいえば、男親論と言ったところではなかろうか。一方敢えて言えば母親論みたいな要素はほとんどない、と言える。あえて一言言えば、幸せで穏やかな家庭生活には、きっと男親論も母親論も盛り上がらないだろう。  男親が殺される。読者には犯人が明かされている。ポアロ調ではなく、コロンボ調というわけだ。さて話としては、状況証拠的にはかなり黒い長男が拘束され、起訴され、裁判となる。結論としては、陪審員によって有罪とされることになる。まあ誤審ということになるが、そんなことは作者にとって大したことではなさそうだ。ならば誤審判決に至る過程を縷々表現することが読者に何を訴えることになるのであろうか。いくらでも理屈は生まれてはきそうである。真実は法廷には易々とは反映されないとか、善意にして極めて優秀な人たちが全精力をかけて事態解明にあたっても間違った結論が導かれるとか、そうでない一般の裁判では誤審は頻繁に生じそうとか、あなたたちが信じている真実とは所詮そのようなものに過ぎないとか、まあ冷笑的な空気がないとはいえない。  それにしてもエピローグからすると、なんと言ってもやはり先に希望を見出すということになりそうではある。  ただこの作品は未完で、作者の死によって作業が途切れたと聞いたことがあり、現に作者は現在の原稿を書き上げた直後亡くなっている。つまり構想的にはもっと続けるつもりだったが、体調的にそれが難しくなり、急遽エピローグで強引に締めを作った、という感じ。わざわざ記載するほどのこともなく有名な話かもしれない。  著者の宗教観についていけない人(その宗教論争に意味がないと感じている人)は、読んでも仕方がないのか否かについては、否だろう。元々著者と全てを共有しなければその作品を理解できないとしたら随分と窮屈なことになりそう。  ウクライナのロシア侵攻が頭にあって、改めて読むきっかけとな

梅雨の明け 径の真ん中 猫座る 行き交うランナー 睥睨しつつ

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   猫とは20年くらい前まではほとんど縁がなかった。縁があったのはずっと犬だった。それもコリーだった。それが23年前たまたま寄ったペットショップでアビシニアンの姉妹をみつけた。何回か通う内に目に力のあった姉猫が買い取られ、頼りなげな妹猫が残った。この事態で決心がついた。即刻買い取った。この子猫は元気いっぱいで、カーテンに飛びついて、爪を立て、そのままカーテンを切り裂きながら、着地するという技を得意としていた。気位が高く、餌の用意を忘れても、ほとんど急かすようなことはなかった。エチオピアのお姫様だ、と家族で称えていた。気が短くよく引っ掻かれたものだ。  森の中の猫もそんな猫を彷彿とさせる。

接触者 認定受けて 孫家に 誕生の祝い まだままならず

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   まだコロナは終わっていなかった。ロシア侵攻以降夜のニュース番組からコロナ禍問題が放逐され、この問題が念頭から消え去っていた。先月末孫が濃厚接触者に認定されて、外出禁止となった。誕生日には近くのアウトレットに行って、好きなものを買い与えるのが恒例だったのにそれも叶わない。改めて調べてみると新規感染者は一時減少を続けていたが、ここのところ下げ止まり、やや勢力を復活しつつあるようだ。  コロナ禍の実態は変わりつつある。通常の風邪化しつつある。一方で一旦作り上げられたイメージは消えがたい。実態に即したイメージ作りに取り組んでほしい。