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1月, 2024の投稿を表示しています

因果関係

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 しばらく前から腰痛が起こり、一昨夜は突然脹脛が痙攣し、その後腹痛、下痢、嘔吐。体調の悪さが、今回の腹痛以降の 一連の事象を招いたようだ。体調の悪さの一つにドライマウスがあった。寝ている間に口がカラカラになって痛いほどなのだ。遡ると水分不足が浮かび上がってくる。この辺りに元がありそうな気がする。そのうちに友人の医師と相談してみることにしよう。     何のため せんなきことに 終始する 生まれて老いて 土に戻りて     

深夜に腹痛

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   深夜に突然強烈な「こむらかえり」に襲われたと思ったら、今度は腹痛、その後は下痢、嘔吐と続いた。体温も徐々に上がりつつある。嘔吐が終わった時点で症状が落ち着いてきた。  朝になって友人の医師にSMSで診断を仰ぐ。食あたりの急性胃腸炎との見立て。こんな手順で何度か救っていただいてきた。例えば、尿管結石の時、胆管炎の時、ステロイド点滴を目に誤って入れてしまった時など。  それともう一つ。身分上の決着がついた。  表面的にはワイアレスイアホーンをランニング中に無くすなど厄日などとほざいていたが、実質的にはとっても進展のあった日なのだ。だから覚えておこう。            履いてみた 新しい靴 痛みあり 靴下引っ張り 紐緩め試す      

「いい意味で」

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        話を聞いていて一番嫌な言い回しが「いい意味で」である。「いい意味で傲慢」「いい意味で偏屈」などである。二つ指摘できる。一つ目は卑屈さだ。発言が責められることがあるかも知れないとしてあらかじめ逃げ道を作っているつもりだ。何を言っても責任はないよとバリアのつもりだ。二つ目は語彙の不足だ。ほとんどない語彙を使いまわして表現している証拠だ。  この種の言い回しは本来の用法を離れて口癖になっている例も多い。ここまで至ると人格そのものが「いい意味で」風に改変され、中身のないカスカス状態になる。  口癖といえば、話の最後に放つ一言。名文句たる「知らんけど」だ。散々際どい話をしていて最後に一句付け加える。それなりに言えばそれなりに言われそうだが、薬味のごとし。            反り気味に 前にゆったり 歩を進め 女優の気位 あちこち放ち

王将戦第3局

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   あっさりと藤井八冠が制した。終始リードを保ち波乱のほとんどない展開であった。やるたびに菅井八段が気の毒に思える。次戦には出てこないのではと訝ってしまう。この世界全てに藤井八冠が君臨する。彼に勝てなければ先行きはない。      世のものは 須(すべから)くして 鏡なり あざとさ写し 手前勝手さも  

何故なんだ

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   ウクライナに領土を放擲させようとする男。日本に軍隊を撤退させるぞと脅かそうとしている男。デパートで女性に暴行を働いたとの前提で莫大な支払い判決を受けた男。議会に乗り込めと唆した男。数多くの嘘を撒き散らした男。この男が次のトップを狙うレースの先頭にいる。  何故なのだ。あの国は正義を声高に標榜するのが好きだったのでは。テレビに評論家と称する人物が溢れているのにそこに答えはない。  たった一つ間接証拠ながらさもありなんと思わせる「こと」がある。エスタブリシュメントの欺瞞だ。そのわかりやすい例がイラクだ。破壊兵器があるという前提で侵攻し、多くの人命と予算を費やしたのに、破壊兵器があるという情報はガセだった。莫大な利益を上げたのはエスタブリシュメントで、人命を供給したのは中産階級だ。  彼らの鬱積に火をつけ形作ったのがあの男だ。他の候補が同じようなことを言っても口マネしているだけだから力がない。あの男がどんなに破廉恥漢であろうと、火をつけた事実は消えない。  こんな現状を学問に耐える形で表現する人が早く現れてほしい。        棋譜浮かぶ 頭の中の 大激戦 王将争う 怜悧と望洋     

轟音

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       囚われを 解き放たば あの頃よ 何を想い 何をわずらい    

闖入者

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   友人と将棋を指している時に突然現れた人がいる。友人の元妻だ。時折訪れては介護の世話をしているらしい。かねてより復縁を勧めていたが、進捗はない。  ところで「老後」があるのはほぼ人間に限られるらしい。「生物進化表」上近いチンパンジーにもないらしい。ここでいう老後は明確だ。女性で言うなら基準は閉経らしい。つまり祖先を作れなくなったらそれが老後というわけだ。  だから何?特に考えていなかったが、難しい。動物としての人間以外の存在を考えなくちゃいけない。しばらく置くか。        木の下で 雨を凌げば 時の経つ 飽きずに聞ゆ 森の囁き

炭火

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   寒風に身を震わせながら向かったのは焼肉店。何よりのご馳走は真っ赤にいかった炭火の暖かさだった。そのうちにガンガンいかってきて手に負えなくなると氷を網に乗っけてやる、すると気の毒なくらいにしゅんとして・・・。      過ぎる日々 積み重ねようと 忘れない 節目節目の 心の動き

フライパンの蓋

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   直径20センチ強のフライパンの蓋が何故かなくて、近くの百均で代用品を買ってきた。するとあまりにぴたりとハマり過ぎて、外す時にはやや手こずる。やや危険なこともある。それにしても蓋した時の密閉度は半端なく、これはこれで新しい料理の幅が広がろうというものだ。例えば茹でたブロッコリを低い温度で温めその上にチーズや茹で卵を載せてしばらくおくと頃よく温まり、最後に白ワインをぶっかけると瞬時に消え去り、後に芳醇な香りだけが残るという塩梅。塩胡椒一切なしできたので、タバスコをぶっかける。       雪耀く ユングフラウの 頂上で 今買ったセーター 腕長過ぎて

自画自演

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   短歌の対象が当初は自然であったが、近頃は自分自身になってきた、と思っていたが、必ずしもそうではないようだ。対象は当初も今も変わらず自分自身でしかない。ただ表現が当初は穏当を尊びがちで、今はなんでも来いになっているだけ。     人間がいなければこの世に謎はなく、悩みもない。だから誰というわけでもなく考える人は自分という人間に行き着く。自画自賛、自作自演・・・みんなそれらしくもあるが、結局は違う。               孫娘 連れて雨中 そぞろ歩き 街角ピアノ 無聊をかこつ    

王将戦第2局

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   藤井8冠があっけなく順調に勝利した。それにひきかえ全く生気がなかったのが菅井八段だった。手も足も出ないという印象で同じプロとして憐憫の情さえ湧きかねない。視聴者にこんな思いをさせるのはいかがなものか?  今回もまた無料放映は解説なしだった。チャラチャラした話を含む放映を有料で見るのか、動かない外面を無料で睨むのか?結局主催者というかメインスポンサーはわからずじまいだった。それが彼らにとって得だったのかそうでなかったのか?まあ考えてもらおう。       年初め 森は佇み 鎮まりて 駆けゆく人の 漏れるピアノ曲

線引き

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 世の中に生きる身としては付き合いは欠かせない。ところが過去の経緯というのは結構面倒臭い。例えば不幸があった時にいくらくらいいただいたとかの雑情報だ。いちいち書き留めておくような才覚もないし、特別にノートを作るほどのこともない。そこで編み出したのが、付き合う相手を自分の感覚に合う人に絞ることだ。こうするとことに当たって過去の経緯を探る必要がない。要はその時の自分の感覚でことを行えば良い。まあ問題は自分の感覚に合う人がそこそこいるかという問題だ。           希望の色 望み絶つ色 明日に付く 色は変われど 時はただ行く

岸田派解散

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   こんなテロップがウオッチに入って少し震えた。なんでこんなことがニュースなのだ。何時も通り勘所を外しまくりの口先人間のパーフォーマンスに過ぎないのに。派閥は人材育成に必要だとさも高所からほざく「みぞうゆう」男が怒る。  派閥が客観的に効用を有しているのなら、それなりにまた生まれるだろうよ。そういった意味で今の派閥解散ブームは馬鹿な国民向けの一芝居ということになる。  それより共産党の党首交代は気にならないのかね。共産党のトップは他の政党のそれとは異なる。10年以上にわたり独裁権を握ることになるのだ。           嘘をつき それに親しみ 快感に 虚実の境 今や懐かし

賀状

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   昔通っていたバーの元経営者から賀状がきた。一回り年上の方だ。娘がいる。同居かと思いきや娘夫婦の家の近くにアパートを借りて住んでいる。同居は双方にとって一歩引くとしてもなんとなく喜べるような状況ではない。これは何故か。  とっとと一人でどこかの施設に入ればそれはそれで潔い。所詮99%以上の長き歴史を野に朽ち果ててきたのだから。      あの頃は 無為の日々 飽き飽きし 実社会に エイッとジャンプ

危機にある時

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   危機は人生に何度もある。危機は見せかけの価値と真実の価値がすり合わせをする機会とも言えなくはないが、最も当人にとって魅力的な時期でもある。潰されるか一発逆転か、賭け事の醍醐味のようなものがある。人によっては、戦う前から負けたようにしょぼくれてしまう人がいるが、勝ち負けは一切決まっていない。真実というものがあってそれに近い方が勝ち遠い方が負けるというのは一種の信仰に過ぎない。真実という絶対普遍のものを基準にしているからだ。  意識的に危機にある人に注目してきた。ヒットラーであったり角栄であったりその他諸々であるが、危機をするりとスルーして亡くなってしまうという人もいた。幸運な人だともいうが、そういう人は下品な人である。                  垂水から見える四国            低山を 孫と登りて 日曜日 「こんちわ」言えず 練習させる

検査

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   昨日は色々な検査を受けた。頸動脈のエコー検査、肺のレントゲン撮影、前立腺の肥大検査だ。エコー検査は妥協の産物だった。コレステロール値を下げる投薬については、要否のみならず、その処方薬自体の当否も問われ、処方を回避したいと望んだら医師が渋り、その打開策としてエコー検査となった。結局頸動脈にさほどプラークは認められず血流の流れに問題はなかった。そこでとりあえず処方は先送りし、また1年後にエコー検査となった。これで毎年検査は胃カメラと二つになった。ここしばらく咳が止まらず、その件で相談すると、胸のレントゲン撮影となった。9年前の画像があり二つを比べた。医師がしみじみと言う。「全く変わってない。」「肺はこの通り綺麗だし、心臓も・・・」咳はそのうち治るだろう、と言う見立て。次は頻尿の件だ。奈良の漢方の売薬について話すと、鼻先で笑われて、泌尿科で前立腺を調べてもらうようにとの御託宣。その足で泌尿科へ。医師の判断も早ければ、こちらの行動も早い。           癌の波 認知の波 押し寄せる 水位も上がり 溺れ死ぬかも  

効果があると報告されています

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   健康食品等販売の常套句だ。「効果があると報告されています。」誰が誰にどのような報告を何時したのか。誰が?まあ研究者だろう。誰に?所属する学会か、大学か、研究所か。何時?不明。研究内容?不明。  元々効果があるとして、肝心なのはどの程度なのかだろう。それに一切触れない。まやかしもいいところだ。  ところで無視できないのがプラセボ効果だ。近代医学から見放された人が怪しげな宗教に走る。よくあることだが、ところが一定の改善効果があるとしたら?  冒頭の常套句にもプラセボ効果が?     あの頃は いろんなことの あり過ぎて 整理つかぬ間に 次の舞台に

地震のエネルギー

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 能登地震のエネルギーはマグニチュード7・6。阪神淡路地震のそれは、マグニチュード7・3。阪神淡路の2倍のエネルギーだそうだ。あれほど大変な思いをしてきたのに、地震の規模で言うと半分だった。ある意味プライドをやや傷つけられたような感じだ。良きにつけ悪しきにつけ、大きい方がいいと言うことか。この地震をきっかけに次はどこだと言う特集が週刊誌を賑わす。北から南まで数多くの候補地が挙げられ、これだけ挙げればどこかは当たるだろうと思わせる。その中で目を引いた記事があった。神戸は安全な街でマンションを買うならこの街だと書いてある箇所だ。保証してくれるのかね。こんなこと書いて。     毎朝の 体重計 目を凝らし 日々の増減 納得の日も  

繰り返す

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   孫と遊んでいると同じことを何度も何度も繰り返されることがある。例えば昨日はこうだ。小学校に入学して最初の日、きっと自己紹介するだろうと言う設定で練習してみた。「次の方」と呼ばれて入っていく。この段階で既に笑っているから、やり直しとなる。深呼吸をさせたり、それを繰り返したりするが、ツボにハマったのか思わず笑い出してしまう。やっと自分の名前を言えたが、「趣味は」と聞かれると、走ることです、と答える。そんなの聞いたことないよ、ダンスでしょと誘導しても乗ってこない。どうも本心が隠れているようなのだ。  このように「次の方」を延々と繰り返すことになる。      恩師誉む 紅い椿の 首落ちポエム 誉めることから 始まる教え

怪しい人影

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   インターホーンに二日続けて怪しい人物が写っていた。残った映像はいずれも正体したものはなく、顔の識別は難しいが、黒っぽい風態、小太り体型から同一人物と判断した。郵便受けに何か伝言でも残せばいいものをそれもしない。怪しいけれど知能犯系ではなさそうだ。  そしてその人物が昨夜在宅中にインターホンを鳴らした。  結局所有土地に関するお知らせみたいな人だったが、いきなりきての面談は昔から潔しとしない。関係書類を郵便受けに入れて貰ってお引き取り願った。最初からそうしておけばよかったのに要領の悪い人だ。         株売買 上り相場は 心地良い 下り相場は ひたすら忍従

将棋

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   友人と将棋を指していた。その友人が私の成金を飛車で取ったのだが、その成金には香車が控えていて友人の飛車はあっけなく打ち取られた。こんなことは70年近く指してきて初めてのことだ。解説するとこういう次第になる。その成金の背後には香車が控えていることは盤上明らかで、友人もそれを認識し、飛車で成金を取ろうとした時にそれを控えてきた。ただしばらく経って、ふと盤上を見ると飛車で成金が取れる状況にある。それで実行する。つまりほんの少しの間に成金の背後の香車の存在を忘れてしまったのだ。  友人も納得がいかないような不可思議な顔をしている。香車の存在を忘れるなどということは些細なことではあるが、須くにおいてそうなのだ。月に2回合計10時間くらい接している間に数多くの事例を知った。悲しいことであり、恐ろしいことだ。          本当は 言ってみたいな 言葉一つ 猫にも言えず 何年か経ち                  184度友ヶ島

平日のデパート

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   孫娘の誕生日祝いを買いにデパートへ。人もまばらで店員さんの気持ちも和んでいて買い物がしやすい。土曜日の朝も同じように人がまばらだが、刻々と決戦迫るかのような隠された闘志のようなものを感じて客としては若干の違和感があった。その点日祝の昼間はいけない。店員さんが鼻からつれない。       繰り返し 思い至りし 顛末は 所詮当て所なく 持病のように

初詣・恵比寿さん

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   正月は神社の稼ぎどきだ。干支がどうした今年の運勢はと、週刊誌も大々的に取り上げる。よく見受ける日常的な今日の運勢的な企画自体、迷信であり、金が絡めば詐欺的だ。こんなことに四の五の言わないのが日本の大人の作法とされているが、いい加減なものだ。いつまで経っても迷信から逃れられない世界なのだ。もっともそのおかげで狂信からは防御されているとも言えるが。     生まれれば 朽ちるが必定 その間 意義も意味もない 管の出入り口

王将戦第1局

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   藤井8冠が制した。全く危なげなかった。菅井八段は生気がなく勝機は見えなかった。       向かい風 受ける圧力 半端ない つい前つめり 気力溢れる

全力脱力タイムズ

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   フジテレビ系列の報道番組風のコント番組。今一番ハマっているテレビ番組でその脚本の秀逸さにいつも感心させられている。感じるキーワードは「毅然」。媚びずに信じる道を行く感がある。出演を一般的には憚られている芸人をどんどん出演させている。「憚られる」理由が曖昧な場合で、間接的な世論への批判となる。MCの有田哲平が一皮も二皮もむけた。      今年こそ 是非会いたいと 年賀状 その気になれば すぐ叶うのに

どうしてもね

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   モーツアルト・シンフォニー40番とピアノ・コンチェルト21番は似ている。そりゃそうだろう。同じ人がしゃかりきになって作っているのだから。だから聞いた人から「アッそう」と言われる。通はもっと違う箇所を指摘するかもしれない。それにしても40番のあの脱力するような箇所は一体何なんだろう。ずうっと疑問だ。         ルーティーン 全て踏まねば 治らぬ 自由な時間 ほんの僅か

隣人

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      耳元に シンフォニー響く 頬刺す風 身縮込ませ ただ一途駆く    同一フロアの住人女性があるとき話しかけてきた。「私看護婦なんですが、家にたくさんマスクがあるんです。」頃はコロナが佳境に入ろうとしていた。家族に透析患者がいてマスクを必死になって探していた頃だった。結局分けてくださいとは言えなかった。それまで付き合いがあったわけではなかったし、マンションではそんな付き合いは憚られた。その後その意図を尋ねたいと思いつつ数年が過ぎた。  一昨日エレベーターに乗り合わせたその女性の夫に「最近奥さん見かけないですがお元気ですか?」と話しかけた。答えは意外で、「一年前に亡くなりました。」急死だったようだ。  確かに人は突然亡くなる時がある。周りの痛手は痛いほど知っている。

能登

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   55年以上前友人二人と能登半島を旅したことがあった。途中体調を崩して早々に引き返し、そのためもあってか能登にはいい印象が持てていない。根拠のない思いというものだ。これとは逆の場合もある。山形だ。大して根拠もないのに、碌な知識もないのに山形がずっと好きだった。一時は山形弁まで真似ようとしていた。相手にすれば馬鹿にしているのかと訝っていたかもしれない。  まあかくなるものである。所詮好き嫌いというものは。  しかし冷静に見れば能登はいかにも頼りなげな半島に見える。地震が早く去り、家家は頭の軽い近代的な家屋に建て替えられることを祈りたい。       森の中 モゾモゾしている 小太り人 近寄り見れば 猫らとじゃれあい

古い知り合いからのメール

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   久しく会っていない方から唐突に年賀メールをいただいた。双方近況を知らせたが、当方としては最後に和歌をドドッと並べた。4年間の成果は見窄らしくはあっても貧相ではなかった。           古き友 初めてメール 正月なり 素直に心 吐露する季節

保守とリベラルの判定基準

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   自分は保守なのかリベラルなのか、その判断ツールを考えた。「あなたは夫婦別姓に賛成ですか、反対ですか。」  賛成する意見としては、別姓にしたいと言う人がいて、そしてそうしたからといって別段自分に不利益が生じるわけがない。だから認めてあげていいと言うことになる。  一方、別姓を認めると、誰と誰が家族か識別が困難になり、要は家族制度が崩れる。家族制度は世の中の秩序の根幹であり、家族制度が崩れることは誰にも大きな損害を生じる可能性がある。だから反対となる。  他人に迷惑をかけない限り各人は自分の好きなように生きればいいと言うのが、賛成論の根本理念だ。  一方反対論は、個人が全く社会に影響を与えることなく生きていくことは難しく、個人の自由も、社会の直接及び間接被害が生じない範囲で認められるとする。  つまり自由の範囲が狭いのが保守で、広いのがリベラルとなる。                旅先で 病に倒れ 床に臥す 夢は浜辺を 赤子と戯れ

地震

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   1日午後4時過ぎに能登半島で大地震が発生した。自宅も大きくしかも長く揺れを感じた。忙しなさはなく恐怖を感じることは少なかった。ほぼ全てのテレビ局が地震関係の特番となりしかもほぼ際限がなかった。NHKの女性アナの退避を促す絶叫について、早速SNSで取り上げられていた。大学教授が地震発生のメカニズムを淡々と職業なりにSNSで述べていた。それだけわかっていたのなら事前に何か兆候のようなもの掴めなかったのか。恥ずかしげな言い回しはなかった。       厳寒の地 息を潜めて 地が揺れる 恐怖生まれ 時の経つを待つ