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1月, 2022の投稿を表示しています

改めて 課題教えられ 王将戦 何処を見つめて 盤前に座す

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   藤井四冠が王将戦第3局を制し、勝利確定に王手をかけた。勝利インタビューで次のようの答えた。「いろいろ課題が見つかった。次戦に備えて対処したい。」  今の将棋界で藤井四冠より課題が少ない棋士はいないとは思うが、その彼においてさえ課題が残るらしい。  藤井四冠は、学業も優秀であった。  学校ではなぜ同じことを繰り返し教えるの、と母親に聞いたことがあるらしい。よくできる子にはありがちな疑問ではある。しかし、逆によくできない子やその保護者からすれば、頭にくることではある。  このような質問は、親としては困る。そんなことを言っちゃいけません、としかいえなかったようだ。優秀すぎる子供が、うまく世間と折り合いをつけることができるか、心配の種は尽きないだろう。そう言った観点から勝利インタビューは、いつも同じような感じだ。課題が見つかり克服に努力したい。(相手の方がもっと課題が多いが・・・・)  しばらく藤井四冠の肉声は聞けないのだろう。いつかその肉声を耳にした時世間は驚愕するかもしれない。多分将棋における彼の才能と同じくらいに。  それにしてもこの快進撃はどうだ。リアルタイムでこの快進撃を見ることは幸せと言わざるを得ない。

満身に 創痍するのも ゴールかな 足痛めしに 頭も惚け

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   老年になると体のあちこちが悪くなる。仕方のないことだと思っている。しかし、若い頃の感慨はこれとは異なっていた。その頃は、映画などで体の一部を切り落とされるシーンを見るといた堪れない絶望感を感じた。要はこれであの人の人生は終わったと。つまり人体の完全生について潔癖すぎるくらいにこだわりがあったのだ。  でも今は違う。終末は、ガクンと一瞬のうちに来るのではなくダラダラと時間をかけてくることがイメージとしてわかったからだ。ゴールに着いた時には、多分満身創痍の人が多かろう。  最初に作った一首。    満身に 創痍してこそ ゴールなり 足痛めしに 頭惚け  これだと、ゴールするくらいなら満身に創痍するくらい頑張れ、という感じになる。そうではない、頑張ろうとそうでなかろうと齢重ねると満身が創痍するものだ。

避難小屋 深呼吸して 寝入るだけ 真っ黒な中 切れる風音

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    寝具がない。  照明がない。  食事がない。  管理人がいない。  それが避難小屋だと思っていたが、あるとき管理人がいた。申し合わせ寄付金としてボックスに2000円入れるべきところ、その自称管理人は2500円を請求してきた。サービスは何にも変わらないのに。後で触れるたった一つを除いて。  その夜台風来襲の予報が出ていた。それなのにわざわざ福島県にまで出向いた理由は、すでに飛行機の予約を済ませていたからだ。もしかしたら台風がそれるかもしれないとさもしい根性が出た。  その夜予報に違わず強い風が吹き激しい雨が襲った。いつも通り山小屋は寝るしかなかった。  朝が来た。5時頃だったろうか。自称管理人が完全装備をして、泊まっていた二組のパーティに宣言した。「台風が直撃します。今から私は避難します。」これがいつもにないサービスといえばサービス。  宿泊者へのアドバイス(例えば「早く下りてください。)も気遣い(例えば「みなさんお気をつけて」)も一切なかった。  我々の選択肢は二つ。すぐに下山するか、しばらく様子を見るか。後者は致命的なミスにつながる可能性があった。もう一つのパーティは、議論した形跡もないまま下山準備にかかり、「どうも」と言ったきり、下山した。格別我々に意見を聞く風はなかった。もちろん朝の挨拶をするような余裕はない。  結局その後我々も下山した。その日の午後当地の県警から安否確認があった。登山届は提出されているのに下山届が出ていなかったためだ。必死の下山だった。               飯豊山               

ふと目引く 川面揺らめく 艶帯びて 時の移ろい ほのかに薫る

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  東に100メートル行くと福田川という小さな川に行き着く。海はすぐそこなものだから、満ち潮時には、海水がかなり上流まで登ってくる。この川はいわゆる汽水状態になる。  鳥も魚も豊富だと思う。思いつくところを挙げると、真鴨、海鵜、ハクセキレイ、青鷺、浜千鳥・・・。魚はというと、ボラしか思いつかない。ただボラはたくさん泳いでいる。しかも結構大きいものもいる。ところで釣りの盛んな当地においてもボラを釣ってる人を見たことがない。臭くて食べれないというのが、よく聞く話だ。  一方北陸のある県の人に聞いたのだが、東海方面からボラを釣りにくる人がいるって。それも食べるために。  この二つの話から伝わる話。  結論は次のようなものだ。ボラの肉は本来臭くない。ただボラは川底の砂ごと口に入れて餌を取る習性があるようで、つまり川底が汚れているとボラが臭くなるっていうことらしい。高度成長期日本の河川は汚れに汚れた。だからこの頃ボラの肉は臭かっただろう。  さて最近はどこも河川も浄化が進んでいる。福田川もご多分に漏れない。したがってボラも臭くなくなっているはずなのだが、一旦認識が染み渡ってしまうと・・・・・。  ということでいつものように川面を見ていたら、穏やかで生暖かい日だったせいか、川の水は粘り気のあるように見え、あたかもオリーブオイルかアスファルトのような印象を受けた。  川面がサラサラしていなくてゆっくり漂い濃厚な感じを与えることがままある。でもオイルのようにとかアスファルトのようにとかの表現はいただけない。その通り思ったのならその通り書けば良いとも思えるが、所詮は作者の従前文化に対するどっぷり感に左右されるということになる。  その結果やっと出てきたのが「艶帯びて」という言葉だが、実態をどこまで表現できているか怪しい。

海凪て 行き交う舟も 軽やかに エンジン唸り 漁場に急ぐ

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   200メートル先に漁港がある。 毎朝か毎昼か知らないが、そこの漁協会館みたいなところで競りが行われているらしい。  視線を右に振るとポルトバザールというアウトレットがある。  さらに視線を振るとアジュール舞子という砂浜になる。  さらに振ると明石海峡大橋となり、その先は淡路島となる。  天気の良い日には、淡路島の住家までよく見える。「おーい」と呼びかけたくなるほどだ。  視線を真南に据えると、淡路島と和歌山県が見える。その海峡は紀淡海峡と呼ばれる。  海流は西から東に流れ、大阪湾内を回っている。                                               視線を左に振ると、関西空港、金剛・葛                       城、大阪市街となる。                                                今日の沖は穏やかなり。                                                                                                

身近にも 禍害の影の 忍び寄る 孫に会えず 今日から10日

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    まあ概ね突然やってくる。孫の入園している保育園で感染者が出たという。そこを時たま覗くと概ね園児が叫びながら走り回っている。まあ普通の光景ではある。  四十年近く前長女が通っていた幼稚園生活はこれと違っていた。修道院の中のようにシーンと静寂が覆っていることがいいことだとされていた。  ところがどうだ。帰路の電車の中では、概ねここの園児らが大騒ぎを繰り広げるのだ。要は大騒ぎするように彼らはセットされているのだろう。  それからすると自粛期間は辛いことだろう。                                                           ギンバイカ 平磯緑地

車窓の 観音像 岬先に 屹立され 壊しの時待つ

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    神戸から西に降るなら、快速電車か普通電車がお薦め。須磨駅から塩屋駅にかけては文字通り海沿いを走る。潮の香も楽しめるし、漁船の行き交うのも眺められる。もちろん大型船の姿も見える。大阪湾海上交通センターにアクセスすれば、船名も大きさも教えてくれる。  また潮が西から東に流れるのも実感することができる  視線を上げれば淡路も臨める。そこに観音像を認めることができる。

この時世 問う便りの 無かりせば 友やというに 物足りぬかな

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  あの前は、あちこち飛び回って、人に会うスケジュールがいっぱいの人が、持て囃される人だった。電話もどんどんかかり、メールもよく飛び交った。新幹線の駅では、車両が到着するたびにPCコーナーがいっぱいになった。  友達や知人やその他諸々の多い人が偉いと思われていた。  あの後は少しは落ち着いただろうか。一緒に飲み食いをする人が友達だというのは、間違いだと、気がついただろうか。  人類600万年のうち99・8パーセントは、じっと目を凝らして、いつも会うごく少数の人間としか接触してこなかった。いつも飢えて、食べ物が手に入れば貪り食べた。栄養はできるだけ身についた。食糧が少なったから当然の摂理だ。そして食糧が溢れる世になってもその生理は変わらない。ダイエットは人類の歴史99・8nパーセントに対する挑戦となる。  今の生活が本来の生活に近い。

よく散歩 父娘のような 二人連れ 娘の影の 薄さ気がかり

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   森に親しんでいるとよく出くわす人が何人かいる。足の悪いドイツ人風のステッキ男性、体の大きいわりに顔の小さな北欧風の夫人。そんな中男女二人のペアがいる。年配の男性と比較的若い女性である。ステレオタイプな見方をすれば、年老いた男性が病気上がりで、医師に散歩でもしなさいと勧められたが、一人では気が進まないということで、娘が散歩に付き合っている、という感じ。そのうち飽いて、男性一人になるか、二人とも姿を見せなくなるだろうと想像した。  予想は外れた。二人の散歩はずっと続いている。しかも日によっては午前と午後2回散歩に出ている。(午前と午後2回行き違えたことが何度かある。)  一つ気がついたことがある。男性は痩せてはいるが元気そうなのだ。そして女性は毎日同じようなベージュのワンピース姿で影が薄い。病弱のようにも見える。  お世話係は女性ではなく、男性なのではないかと思いに至った。  ところでこの二人には顔がなかった。

ないことも あるかごときに 言い張りて 「認知」の君の メタバスの世界

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           (あるホテルのバーで飲んでいた時、バーテン             ダーが何にしましょうか?言い淀んでいると、              いつも何を飲まれてますか?恥ずかしかったが             「明石」です。それならこれはいかがですか、と             出してきたのが、これ。素直で芳醇であった。             最近は入手できていない。)   引きこもり状態にある友人の家族から頼まれて、月に1、2度見舞うようになって、半年が過ぎた。この間概ね二人でウイスキーを飲んできた。会話は比較的スムーズだが、時たま信じられないような事態になる。2年半前の遭難のことに話が及ぶとそれは何のことという表情を示す。遭難事件の直後共通の友人が亡くなったが、そのことに関しても、また「あいつ死んだのか?」と言い出す。ともかくここ数年の記憶が完全に欠落している。家族によれば、数時間前にあったことでさえ、全く覚えていないという。  話が転じて、最近では、たまに鉢伏山から旗振山を経て高倉台に下るという話や菊水山、鍋蓋山の急坂をこなしてきたという話をしだす。  足大丈夫なの?という合いの手を入れながら聞き流す。多少真偽怪しい部分が残る。ただ万が一のこともあり、この話を家族に伝えた。山中で戻れなくなったら遭難事件の二の舞になる。  家族の返事は次のようものだった。「山歩きなど一切していない。昔の記憶を使って適当に話している。受け答えが普通で、相手はてっきりまともだと錯覚する。それで却って困ることもある。」  

今日もまた 霞たたずむ 大阪湾 あの聳ゆるが 金剛葛城

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左が葛城山 右が金剛山 逆三角の切れ込みが特色  平磯緑地の東南端の展望所からは大阪湾の東半分がよく見える。金剛山と葛城山もよ見える。金剛山は大阪府一の山で登山者も多い。  従って、葛城山の頂上からは、大阪湾がよく見える。この展望所こそ特定できないが、鉢伏山(須磨浦ロープウェイがある。)はよく見える。この写真のカメラ目線を左に持って来れば、鉢伏山となる。  ところが、金剛山からは望めない。頂上付近に建造物があって、我々が眺望を楽しめるような場所がない。  さて、葛城山の頂上付近には宿泊所があって、名物は鴨料理。鴨スキも鴨チリもとっても美味である。地酒とよく合う。ツツジの頃が人気だ。  平凡な風景と短歌。  当たり前の日常の象徴。  あんな日もあったと嘆息はしたくない。

膨らみて コブシの冬芽 風に揺れ オフホワイトの 花びら厚し

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   垂水駅前のレバンテ広場の周囲のコブシ。春一番に咲くコブシの花。冬芽が膨らむと多少時間はかかるとはいえ、あのシンプルでノーブルな白い花の開花に思いを馳せることになる。(平磯緑地にも少しある。)  以前コブシの花を見ていると、そこにスーとタクシーが来て止まり、中から運転手さんが「それ何?」ときいてきた。「コブシですね。」と答えると、何も言わず要領を得ないといった感じで、タクシーは去っていった。コブシって一般的ではないのかも。  モクレンの仲間でどうしても花びらは肉厚な印象を拭えない。(モクレンといえば、元町の大丸周辺。)  白い花といえば、ユキヤナギ。そして対でオオシマザクラに思いが行く。(平磯緑地にソメイヨシノは少ししかなく、ほとんどがオオシマザクラやヤマザクラと思われる。)ここではほぼ時を同じくして、ユキヤナギとオオシマザクラが満開を迎える。壮観。  そしてキョウチクトウの白い花。舞子のホテルセトレの玄関が例年見事だ。最近はあまり聞かないが、舐めたり、茎をバーベキュウの串にしての中毒事故が頭をよぎる。                          オオシマザクラとユキヤナギ  そしてムクゲ。  シマトネリコの花も目を見張る。平磯緑地の球場横が圧巻。  そしてサルスベリ。垂水区役所北の通りの街路樹。

逃げる猫 駆ける前行く 誤解なり ただ単に前に 歩を進めてる

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      烈風下  猫は陽を受け コロコロリ 暖か毛布 アスファルト製     追う猫  躊躇(ためら)いがち 気付き人 ふと振り返る 寄る猫払う           森には多くの猫がいて、そして多くの支援者がいる。森に歩いてくる人、自転車で     くる人、乳母車のようなものでくる人。支援者は、ごく一部の例外を除いて女性で     ある。これはなぜだろう?      ところで支援者が支援している猫は特定の猫なのか、それとも不特定なのか?      猫の名前を呼んで寄せているシーンをよく見かける。      特定の猫と特定の支援者の間には絆があるようだ。      餌を与えた支援者は去っていく。猫は支援者にすがっていく。いつもダメだと言わ     れているから、おっかなびっくり、遠慮しがちなわけ。それでもついて行きたい。      支援者は気配に気づき、振り向く。猫は許してくれるのかと思い、スッと近寄る。      支援者は家には連れて行けない理由がある。追い払わざるを得ない。      一連のシーンを遠くからじっと見ていた。       

深き雪 踏み締め目指す 武奈ヶ岳 海からの風 頂上阻む

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                                写真 大峰山系八経ガ岳  武奈ヶ岳は比良山系の山。標高はそれほどではないが、この辺りでは一番高い。晴れた日には北に日本海、南に琵琶湖が望める。但しそれは滅多にない。  数えきれないほど武奈ヶ岳には親しんだ。慰霊登山というのもやったことがある。別段ここの山で亡くなった人の慰霊を行ったのではなく、単に亡くなった人がいて、六人ほどで登ったのだ。急に大雨に襲われて登山道が濁流となり大慌てで下山したこともあった。  ロープウエイがありリフトがあった。今はもう。  琵琶湖と日本海両方を望めたのは、今思えば一番最初に登った時だけだった。  バスで行くにしろJRで行くにしろ不便なところではある。一人で行くときはいつもJRだ。  雪山としては大峰山系同様初心者にもチャレンジ可能。  さてやっと頂上に辿り着いたとして、やはり天候は冴えない。    頂上に 立てずに伏せて カップ酒 吹雪止まず 下山路見失う  

青い空 円描くトビ 白い雲 どこまで見える あやかりたし

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   「トンビがヒョロリと輪をかいた」という趣旨の歌謡曲が6、70年前にあり、比較的よく耳にしていた。そのせいかトンビには親近感を感じる。  大空をゆったり滑空しながら円を描いている。それもとてつもなく高いところから、マンションの窓辺くらいまで幅が大きい。その間にピョロリかヒョロリか鳴いている。自由人そのものである。   大空を 心地よさげに 遊泳す いいないいなと トンビ見上げる  たまに餌付けを試みる人もいる。決まった場所で、決まった時間に、鶏肉なんぞを用意しながら寄ってくる。トンビが集まってくると。エイッとばかりにその鶏肉を空中に投げる。トンビに咥えてもらえればよし、それでなければ鶏肉は落下してぐちゃぐちゃになる。  ところで最近、鎌倉や神戸のポルトバザールや京都でトビの被害(人の食べ物を急降下して奪取するらしい)に対する注意喚起を促す張り紙を見て驚かされた。  彼らとて食べていくのは大変なのだ。

陽だまりに 猫ちょこんと 横座り お腹も満ちて あたま空っぽ

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 どのようなきっかけで1首ができるのであろうか。その状況を見て印象深いものを感得し、それを言葉に表す時もある。ふと一句が浮かび、それを生かすために前後を調整することもある。  たとえば今朝。自室の窓から西を見遣ると、明石海峡大橋に大きな白雲がかかっていた。これで「橋上に 大きな白雲 棚引いて」となる。リビングに移って、東を眺めると朝陽が輝き雲を照らし始めた。「朝陽を受けて 白く輝く」   橋上に 大きな白雲 棚引いて 朝陽を受けて 白く輝く  凡庸な風景には凡庸な1首がよく似合う。  ところで数多く作ってくるとジャンルのようなものができてくる。その一つが「猫」ものだ。猫の太々しさのようなものが滲み出ればいいと思っている。  梅雨晴れ間 径の真ん中 猫座る 行き交うランナー 睥睨しつつ  昨日友人が一句を送信してきた。了解を得ていないが、お名前を出さなければいいでしょう。    シャクナゲの 天突く蕾 朧月  

猫走る 餌やり人と ペース取り 命の綱を 目一杯見て

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    唐突ながら、表現の自由の話。   「表現の自由」という日本語はこなれていないかもしれないが、大事なものだとの認識は一般的なようだ。ただこれが一番大事だと言い切った例は一つを除いては知らない。  ある教団が第一の教えにこれを取り上げた。さぞかし斬新なことであったろう。  この教団のトップが誉めたという二つのエピソードを聞いたことがある。一つはその方が風呂に入ろうとした時、お付きの人が湯に桜の花びらを浮かせたらしい。もう一つはその方にステーキを供した際、しっかり火は通っていたのに肉の色は赤いままだった。  前の方の例はともかく、後の方を聞いた時まず思ったのは、もったいない。  ところで表現の自由は、人権の一つであるから、当然想定される抑圧者は「あれ」になるのだが、表現者から見て対外的な問題ではなく、むしろ対内的な問題になるのではないか、というのが視点かな。  さて1首。平磯緑地には数多くの猫がいて、そして数多くの支援者がいる。支援者と猫との間にどんな関係があるのかは知らない。たとえば、特定の支援者は特定の猫だけを支援するのかとか、森が大嵐になった時、自宅に引き取ろうかと考えないのかとか。しかし個々の猫が個々の支援者を認識していることは間違いがない。また長年見ていると気のつくことがある。子猫がいないのである。然るべき対応がなされているのが想像される。  

欲しいもの 何もないのは いつからか 色々整理 し始めた頃

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  同年輩者と話していると、いつも同じ話題になってしまう。孫の話か病気の話それに年金の話。たまに毛色がかわったかと思えば、何も欲しいものがないと嘆きだすのだ。  何も欲しいものがないというのは充足していて、問題がないとも評価できそうだが、そうとばかりも言えない。欲しいものがないというのは、生きる意欲が減退しているのと同じようなのだ。彼にとって生きるということは欲しいものを手に入れることそのものだったのだろう。実にわかりやすい。  それは何だったのだろうか。時計だったのか、万年筆だったのか、海外旅行か。全て正解のクイズみたいなものだろう。車だっただろうし、もちろん家だっただろう。ゴルフの会員権も入るだろう。  それらの欲求が全て消えてしまった。(既に手に入れたかもしれない。)

階段に いつも肩よせ 語らいぬ 背しか見えねど 時を惜しみて

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 ランニングコース脇に降り階段があり、その階段に二人の男女が座り、後ろから瞬時見えるだけだが、親しそうに語らっているように見える。この時期寒い日も少なくはないが、そんなことに怯む様子もない。  厳しい季節に戸外での逢瀬はそれなりの事情を推測させる。難しい事情はないに越したことがないにしろ、難しい事情は思いを純化するベクトルとなる。  部外者とすれば、そんな二人を見るたびほっと安心するのだ。 

西の風 上枝揺らし 突き上げる 白波の海 低く吠える

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  昨日はことのほか風の強い日であり、同じマンションの住人から西側の北風は冷たくてやりきれないと話しかけられた。俗にいうビル風で冬の日は、確かに昼も夜も難儀する。  さて平磯緑地。ともかくここもすごい風であった。元になった1首は次の通り。    枝揺れる 激しく煽られ 千切れそう また西の風 海も大荒れ  「また」がどうしようもなく凡庸である。主だった言葉は「西の風」なので、置く位置を変え。前に持ってくることにする。  実際心動かされた揺れていた枝というのは、木の上の方の枝だったので、直裁に「上枝」にかえる。  それにしてもある日の情景を切り取った平凡な一首と言える。しかし、どちらかと言えば、この傾向の短歌に傾きがちになる。間断なく続く情景はどんどん流れ、そしてあっけなく消えていく。だからこそその一瞬を切り取りたい。できれば正確に。

森入れば 強風去て 一息つく 樹々の守りの 雄渾思う

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  寒い朝にランニングすると風の冷たさが身に染みる。そんな時に森に入ると、風が遮られてホッとする。いつも感じることだ。  ところで森は単に樹々の集まりではなく、樹々や鳥たちや虫たちの他に何かが潜んでいる。そこに入ると何かが守ってくれているような気がする。まあえたいの知れない何か。  吹き荒ぶ 地揺れ樹々折れ 鳥騒ぐ 密かに囁く 異界の誘い  樹々揺らす 風の誘い 囃し立て 囀りあう鳥 異郷の舞台  こういう歌を何首か過去に作ってきた。なぜか拙さを感じる。多分一年半ほど前に過ぎないのに、一年半先はどうなっているのか?  

冬の昼 たっぷり降った 久々に 途切れて戻る 当たり前の間

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  今冬は雨が少ない。  そこで久しぶりに雨となり、しかも大量に降った。そこそこ降って一旦止んでみると、えも言えない静寂というか間があった。雨降りの前に戻った安心感というか、懐かしさというか。それをあえて言葉にすると、未熟なせいか、笑えるような一首になった。   冬の雨 途切れ 間の空く さて先は 再び降るか 持ち直すのか  降雨の途切れた間の存在を主張したいのに、早く「間」が出てきたおかげで霞んでしまった。しかも後半は苦し紛れの天気予報となった。そこで改変を試みた。降雨を膨らませ、「間」を一番最後に持ってきた。  短歌を作り始めた当初はこの種の添削を繰り返していた。1首を十数回書き直したことがある。こうなるとエンドレスになりかねないし、元々何に惹かれて詠んだのかさえ定かでなくなる。  そこで最近は、創作直後には本来いじらず、しばらく経って、独りよがりで趣旨を捉え難い場合にだけ、手を入れるようにしている。あまり手を入れてもそう出来が良くなるわけでもないのだ。  元々啄木歌集から二つのことを学んだ。一つは1000首を作ること、もう一つは和歌は一つだけで表現するのではなく、一連の作品で表現するということ。つまり多くの作品には、秀作もあれば駄作もありうるわけで、秀作だけにするとかえって伝えたいことが伝えきれないのではと思い至った。(大先生と同じ目線で考えていたことを後日恥じた。)

くそっと 強く自ら 貶める 整理のつかない 悔いと恥辱

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  気がつけば、くそっと口にしていることがある。結構大きな声で、もしかしたら誰かに聞かれたかもしれないと思うことも。  論理的な帰結が、くそっという言葉になるのではなく、漠然とした総体の結果その言葉が発せられる。従って事後になってなぜそうなのか、検証することになる。これはこれで結構しんどい作業となる。「くそっ」という詩文的な言葉を散文に置き換えることになるから仕方のないことではある。せっかく詩文的に処理したのに、散文に戻すなんて愚かしい仕儀ではある。  ところでこの言葉には効能がある。一定のストレス発散効果である。ただし効果はさほどではなく、多用すると更に効果は減ずる。  一般に下品な言葉とされているので使い方には注意が必要である。ただし無意識化に出ることも少なくない。

松葉踏み トレイル行けば メジロ群れ 樹々からサッと 隣の薮へ

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 毎朝ランニングめいたものを行うのがルーティンだ。場所は平磯緑地。主なコースは二つ。一つは木々の間を向ける林間コース。木々のせいで風当たりは少なく、陽も当たりにくい。やや高低があり、曲がってもいる。もう一つは車道の脇の歩道コース。風当たりと陽当たりがすごい。高低がなく、コースもストレート。ずっと先まで見通せる。二つのコースの目的地は緑地の南東端の展望所だ。展望できるのは南から北東まで。金剛葛城、鉢伏山、旗振山鹿が臨める。  そしてもう一つがトレイルと呼んでいる、文字通り木々の間を抜けていく自然にできたコースだ。主なコース二つがアスファルト舗装に対して地道だ。管理者が関与せず、多くの人が分け入って自然にコースらしき物ができた。小鳥や鳩それに猫などそこを住居としている連中にはとんだ迷惑者というわけだ。  というわけで迷惑者はできるだけ迷惑をかけないようにしないといけない。鳩とは折り合いがついている。鳩が餌を漁っているときは、ランナーはそれを避けて通る。そうすると小鳥たちも、そのランナーが危険を運んできたわけではないと判断して、やや警戒が緩む。ランナーにしてみれば幾分近目にそして長めに小鳥たちを鑑賞できることになる。  メジロは小さくて渋い緑色のコートを羽織っている。軽率にも長く鶯かなーと思っていた。目の周りは白く縁取られている。ところでこの日彼らが集団でいるのを初めてみた。迅速だが緊急というわけではなく、集団は個々に同一方向に、人間から遠ざかっていく。風のない暖かい冬の午前だ。

人が去り 人から去りて から景色 虚空に向かい 悪罵浴びせる

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  周りに認知症傾向の人が増えている。認知症は有無が問題なのではなく、その程度が問題です。  2、3年から数日などの短期の期間の記憶力が極端に減少した人、徘徊傾向のある人、怒りっぽくなった人、物の言いようが丁寧だったのにぞんざいになった人などなど。  その中でも注意をしておく基準があると友人の医者が次のように言っていた。  「今までいい交友関係を維持してきた友人と『複数』断絶したら、認知症の進行ステージが上がったと理解すべきだ。」  今までいい交友関係を断絶させるには、それなりの真っ当な理由があると、当事者は大概そのように言い張るのが常。確かにそれなりの理由は確かにあるのであろう。  しかし、そうだからといって、じゃ今までそんな断絶に値するような真っ当な理由が存在したことはなかったのか、と言いたいわけだろう。  数十年に渡る長い期間の間には文字通り色々なことがあり、交友が途切れるような可能性のあることも珍しくはない。それでも交友は続いてきた。それはいわば壊れかけた関係が修復されたから結果的に交友が続いてことになったのだ。  このように考えてくると、つまるところ交友関係が途切れた時の修復力がなくなったのが、交友関係断絶の原因であり、その修復力の減少・消滅こそが認知症の進行ステージの上昇の証左ということになる。そして修復力の減少・消滅は、他人に対する理解の不足、宥恕の意志の欠如、堪え性の減少・消滅などなどに起因する。  そんなわけでじっくり周りを見回してみることになる。これが結構恐ろしい。恐ろしいことは端折って、次に。  「から景色」は、人がいなくなって空虚で虚しい景色を表現している。一般に使用するか否かは、知らない。自ら使っていて違和感はない。ところで「空景色」と書けば、「そら」景色と読み取るのが一般的のようで、意味が異なる。そこでひらがなとした。  自分自身の世界では、事実を事実として表現し得ているわけで、和歌としてはここまででいいのだが、そうもいかないらしい。締めないといけないらしいのだ。  ところで事実として、ランニングしながら思わずチクショーと叫んでいることが多い。叫ぶ対象について、多分具体的な対象物や事象が判然としていないのが通例だと思う。それをここに借用することにする。これが適切かどうかは、後日考えよう。  さてこれを「悪態を吐く」と表現すると、やや違うよ

力なく 歩を進める 老爺あり 老婆にはない かく屍

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  よく見かけるのである。たとえばイオンのベンチとかで。所在がない、覇気がない、目的がない、そんな「三ない」そぶりの老人が。それは立っていても歩いていてもそこはかとなく伝わってくる。  それがここ平磯緑地でも見られた。ここへ来たのなら、緑を見、鳥の声を聞き、風を感じ、雲の形に驚き、出会う人に会釈のひとつもすればいい。  それなのに生気なく惰性で歩いている。  ところでこんなことは女性には見られない。こざっぱりした服装に気配りし、あるいは場違いな山歩きの完全装備をし、あるいはピンクの色に揃えたファッションを訴え、ともかくことの良し悪しに関係なく、目的を持って歩き、たたずみ、ピースとして景観の中に立派に存在している。  さてこの男性老人の無気力ぶりは、自ら老人になる前から、長年にわたって気になってきた。自らがその年齢に至り、それは単なる悪口の域に止まらなくなってきた。つまりこの無気力ウイルスに自らが感染することを防がなくてはならないのだ。  という前提でのこの1首。女性にはこのような屍ぶりはないよね、っていう軽いノリです。  ブログの最初にしては、肩に力が入ってなくて、先行き続くのか、内容は大丈夫か、やや不安を誘いますね。実をいうとそれは私も同感なのです。